石井ゆかり「月のとびら」
私はしいたけ占いが好き。占いと名付けられているけれど、明るく軽やかで、私のこれからを応援してくれるような、何か迷っていることがあるなら、背中を押してもらえるような、そんな言葉が綴られています。
きっかけは忘れたのですが、多分、SNSで誰かが話題にしてたとか、そんな感じだったかと思います。私もすぐにお気に入りになりました。オーラカラーも出ていて、何度か手帳の表紙の色をそれで選んだこともあります。
けれど、占いといえば、そんなにカジュアルなものばかりではありません。占いが気になるのは、何か不安なことがあるから。しいたけ占いではあまり感じませんが、占いに期待通りのことが書いてないと不安になり、余計に辛くなってしまいます。
なぜ、それなのに、占いを読んでしまうのか。
私は占いの書き手について、しいたけ.さん以外は意識したことはないのですが、著者は星読みや占いについてよく書くライターなのだそうです。
この本を読み始めたのは、先日読んだ「お探し物は図書室で」の中で紹介されていたからです。しかも検索してみると、この本を読んでたどり着いた方が多いようで、より興味が湧きました。
本の紹介では、占いとの付き合い方に迷う方へ、とありましたが、占いの話に限定されているわけではありません。
世界各地の神話や民俗の話などを引用しながら、占いや月のリズムに関する話が綴られています。
生きていく中で不安になることがある、そんな感情は誰にもあるはずで、それを認めていいんだ、という気持ちになれる話でした。
一番印象的だったのは、知人を亡くしてしまい、その時の自分の星座がその人の死を意味しているのではないかと思えて辛いという方からのメールへのお返事でした。
この著者の言葉を見て、私の長男のことが浮かびました。彼はダウン症を持って生まれました。
彼が私のところに来たとき、どうして、と思いました。ある一定数の確率で起きる染色体の異常です。
でもなぜ私のところなんだろう、とは思ってしまいました。
おんぶできるようになってからは図書館で片っ端からダウン症の本を借りて読んでいました。私は私ではなく、ダウン症を持つ子どもがいるお母さんになっていたのかもしれません。
でも、この本を読んで、ダウン症であるのは彼の運命、ということが浮かびました。
できることはしたいけど、私がどうこうできたわけではないし、これからもできる範囲でしかできないし、周りの人に助けてもらえることに感謝し、表現することの方が大事なんだろうなと思いました。
一方、長男本人はといえば、誰に助けを求めればいいのかを分かっていて、彼なりのコミュニケーションで頼るのです。
先日など、出先でベンチに並んで座っていて、ふと横を見ると、その隣の70代くらいと思われる女性にちょっと近いかなという距離で笑いかけていたので驚いて、「すみません」と引き寄せると、
「大丈夫ですよ」
と言ってくれました。誰にでも笑いかけるタイプではないので、親しみやすさを感じたのかな、と思っていたら、
「可愛いわね」
と言ってくれました。しばらく休んで帰り際に会釈すると、とても優しい笑顔で温かい気持ちになりました。
知的の遅れは小さくないですが、彼は自分の状況を受け止めて、その上で、楽しく過ごしているような気がするのです。
手放しで喜べるなんてことはないですが、彼から教わったことは本当にたくさんあります。
自分のこと、自分の身近なことこそ、分かりにくい、つまり、抽象化して冷静に判断するとかしにくいものです。だから、論理を飛び越して、占いなどを信じたくなるものなのかなと思ったりしました。
そういえば、占いとは違いますが、経営者達も運を大切に考えるといいます。
想定していなかったことが起きても、ちょうど良かった、と考えて、良い方向に持っていけるのです。占いで言われたことや、運命と言いたくなるようなことも少し離れて見ることができるのが、経営者である所以なのかなと思いました。
実は、自分のことや身近なことを抽象化しにくいから、占いを気にしてしまうのではないかと思ったのは、「知的複眼思考法」を読んだからだと思います。経営者にもなると当たり前に複眼思考ができて、起きた現状をメタで見ることができるということなのだと思います。
石井ゆかり氏の星読みのサイトを見てみました。私、いつも魚座だと思っていたのですが、水瓶座だったんです。もともと境目ではあったのですが、生まれた時間まで入力すると水瓶座。
魚座と両方見てみましたが、水瓶座と言われればそんなような気もします。
しいたけ.さんだけじゃなくて、石井ゆかりさんもたまに見たくなる優しい言葉でした。