堀江貴文「疑う力 『常識』の99%はウソである」
「疑う力」とは、「しっかりと受け止める力」ということ。一見、「疑う」いう言葉は、相手のいうことを軽んじているように見えるけれど、堀江氏の意味はたぶん、そういうことではない。むしろしっかりと受け止め、自分の頭で考えろ、ということを言いたいのだと思う。
インターネットが普及し、SNSで誰もが発信できるようになり、人の噂も75日どころか、とんでもない勢いで広まり、場合によってはいつまでも消えない時代になった。身近な人で、どんな考え方をしているのか何となく分かっている誰かが個人的に言っていたことなら、噂だな、とか、もしかしたら勘違いかな、とか冷静に考えられる。でも、ネット上で拡散され、しまいにはメディアにも取り上げられると、誰だか分からないけど、みんなが言ってるから、本当のことのような気がしてきてしまう。私も興味があることであれば、自分がこれまで持っていた情報や考えてきたことと照らし合わせて正しいかどうかを考えるけれど、ついあまり興味のない分野であれば、衝撃的なその内容に、そうなのかな、と軽く考えて受け流してしまう。そういうのをやめよ、と堀江氏は言っているのだと思う。
メディアで報道される内容についても、視聴率のため、と指摘する。確かに「正確な情報を伝えてよりよい社会に貢献する」といった精神に基づいてだけ報道しようとしたら、それを運営するための資金が確保できないから、スポンサーに配慮したり、視聴率を稼ぐことも大事にしたりするのは当然のことなのだろう。とはいえ、なんとなく、テレビがそんなにいい加減なことを言わないだろう、つい考えがちだ。
実は私は厚生省在職中に冤罪で逮捕された村木厚子氏について、報道を信じ切ってしまって、「きっと法案を通したい一心で、やむを得ずやってしまったのだろう」と勘違いしてしまっていた。村木氏の著作は何冊か読んで、私のすごく尊敬する方の一人になっている。逮捕、拘束された間について書いた著作も読んだけれど、拘置所にいる間もたくさんの本を読み、拘置所での生活でさえも好奇心や前向きな気持ちでどうにか乗り切ったという。メディアを信じていた自分がとても恥ずかしくて申し訳なくなった。実はこの件だけでなく、比較的、情報を鵜呑みにしてしまうと自覚している。メディアだけでなく、誰かが言ったことに関してもその裏は読まない。その人の言うことですでに苦い経験をしていたとしたら、ああ、またそういうことなのかな、と考えたりもするけれど、基本的には信用してしまう。もちろん組織の中で仕事をしていれば、相手の言うことに従う方がスムーズだろうけれど、そこで疑う力を持っていれば、従いつつも、より良い方向に進めることだってできるのかもしれない。それは自分の頭で考えるからこそ、できることだ。
疑う力は重要だ。気になったのなら、鵜呑みにするのではなく、それが信じるに値するものかどうか考えてから、情報として蓄積しなければいけない。むしろ、そこまでする必要がないと考える情報なら、捨てて、すっかり忘れ去るべきなのだ。堀江氏が言いたいのはそういうことなのだと思う。
読み進める途中から、私の中で、「あれ、それじゃあ?」という思いが生じた。そしてその答えはあとがきの中にちゃんと用意されていた。改めてこの本を読んでよかったと思えた。
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