不気味でロジカルな怪奇譚/ディクスン・カー『曲がった蝶番』
引き込まれるストーリー
フェル博士が探偵役をつとめる『曲がった蝶番』。
二転三転するスリリングな物語が特徴的です。
土地の名士であるジョン・ファーンリ卿に対し、自分こそが本物のファーンリ卿であると主張する男(パトリック・ゴア)があらわれます。
少年の頃に遭遇したタイタニック号の沈没事故の際に、2人は入れ替わったのだと言うのです。
少年時代の家庭教師や、弁護士の立ち会いの元で、どちらが本物かのテストが行われるのですが、その決着がつかぬうちにファーンリ卿が死亡。
不可解な死の謎を解き明かすために、ギデオン・フェル博士が登場します。
どちらが本物のファーンリ卿か?という謎は本書の導入に過ぎません。
ファーンリ卿は自殺か、他殺か?
少年時代の指紋帳、閉ざされた部屋、朽ちた自動人形、悪魔崇拝。
ロマンチックな要素がふんだんに盛り込まれ、物語をクライマックスに誘います。
⚠️以下、重大なネタバレを含みます⚠️
怒涛の謎解き
人が入る十分な隙間がないのに、何故自動人形は動いたのか?
手前に生垣があるだけで視界は十分だったのに、何故ファーンリ卿に近付く犯人の姿が見えなかったのか?
犯人には脚がなかったからです。
タイタニック号の事故の際に脚を負傷して切断を余儀なくされた犯人は、精巧な義足を装着していました。
身長をごまかすことができたために変装が容易であり、狭い自動人形の内部にも入ることができ、人目につかずに被害者に接近することができた、という設定。
独創的ではあるものの、そのトリック(真相)はフェアでないのでは?
と思ってしまいました。
作中、フェル博士がある女性に対して「あなたはリアリストだから」という意味のことを言います。
私の感覚では、その女性もかなりの夢想家のように見えていました。
読み手と作者との波長の合い方の問題が多分にあるのだと思います。
私個人の例で言うと、
精巧な義足の犯人の暗躍には違和感を覚えるのに、
“義足と見せたのは偽り、美女の死体をパノラマ館に陳列しよう”という怪人については「ふむふむ」と読めてしまいます。
▼江戸川乱歩作の畔柳博士
読者が持っている歯車と、作家の歯車の噛み合わせの問題なのでしょう。
ミステリ作品としては文句なしに面白く、ディクスン・カーの傑作と言えます。