
旅情にあふれるアリバイ崩し/鮎川哲也『戌神はなにを見たか』
鬼貫警部が活躍するシリーズの一作ですが、他の刑事や民間人が調査しているパートも多く、鬼貫の存在感は薄めです。
丹念に犯人のアリバイを突き崩していく鬼貫警部シリーズには珍しく、「殺人が行われようとしているのを防げるか!?」というチェイスシーンがあるのですが、それを担当するのも地元の警察官。
鬼貫はあくまでブレインです。
展開としては面白いものの、全体的にモヤモヤも残ります。
推理小説家たちへのオマージュ
ストーリーの隠し味となるのが、江戸川乱歩をはじめとする推理小説家にまつわる要素。
カメラマンの死体に残された手がかりは、外国人の顔を掘り出したレリーフと、被害者が食した風変わりな瓦せんべい。
“外国人の顔”はコナン・ドイルのもので、ここから推理作家協会へと捜査の糸が繋がっていきます。
被害者の胃に残っていたのは“乱歩せんべい「二銭銅貨」”であったことが判明します。
乱歩の出身地の名張市の焼き菓子で、処女作である『二銭銅貨』に由来したネーミングです。
ここから、江戸川乱歩出生の三重県名張市の近傍にある「太郎生」という地名に着目するなど、近代日本の推理小説作家にまつわる要素をちりばめながら、ストーリーが進みます。
読み手である私の趣味もあると思いますが、かなり迂遠な犯人の動機や、タイトルにもなっている戌神云々より、ミステリに関わる小ネタの方が印象的でした。
自嘲か演出か? 犯人の造形
ある推理作家についての情報を辿っていく場面で、ミステリ通のバーのマスターに次のようなことを指摘されるシーンがあります。
その作家は倒叙ミステリを得意としていたのに、最近の作品ではトリックのクオリティが劣化した。
犯人の思わぬ失態からではなく、誰も与り知らない偶然の要素によって犯罪が露顕するという安易なトリックに流れている感がある。
作者に何か大きな転機となるような出来事があって、作品の質を保てなくなったのでは?
本作は倒叙ものではありませんが、犯人のアリバイが崩れる決め手が、まさにその“偶然発生していた”事故。
作者が自嘲しているのか?
あるいは、
「自分を天才だとうぬぼれている愚か者」が犯人というストーリーだったので、敢えてそうしたのか?
おそらくその両方で、メタ的な構造なのでしょう。
犯人はあまりに完全な犯罪をしてしまった(と自分としては思っている)ので、渾身のトリックを他人に披露する機会がありませんでした。
そのため、口封じしようとした目撃者に「冥土の土産にあなたのトリックを教えてくれないか」と言われて時間稼ぎをされた際、またとない機会だからと調子に乗って委細漏らさず説明するというコテコテの行動をしてくれます。
そのために、背後の人間関係から計画・実行に到るまでのすべての情報を、鬼貫警部も読者も知ることができるわけです。
安易と言えば安易。
痛快と言えば痛快。
ひっかかりを覚える点
ストーリーの本筋とは関わらないところで、著者(社会?)の偏見が丸出しになる描写が多々あるのが気になります。
1976年の出版ですが、よくも悪くもおおらかな時代だったということなのでしょうか。
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