【子育て】ASDは「障害」か「個性」か
約20年前、息子が高機能広汎性発達障害(ASD=自閉スペクトラム症)の診断を受けました。
当初私は、「障害」ということばに落ち込みましたが、時と共に受け入れていきました。
けれども周囲の方々からは、「それは障害ではなくて個性でしょう、お母さんの考えすぎだ」と言われます。おそらく、私を元気づけようとして言ってくださっているのだと思うのですが、なんだかもやもやとした気持ちになり、愛想笑いをしておりました。
発達障害は「脳の個性」
最近、「発達障害は脳の個性」ということばを目にします。
こちらの本の影響でしょうか?
発達障害大全 ― 「脳の個性」について知りたいことすべて | 黒坂 真由子 |本 | 通販 | Amazon
発達障害に関わっておられる専門家の方々に取材して書かれた本のようです。専門家の方々のお名前を拝見すると、そうそうたるメンバーです。
本の紹介しか見ていないのですが、どうも「脳の個性」というのは、精神科医の岩波明先生のことばのようです。
ASDは少数派の「脳の個性」を持っている人、ということでしょうか。
「障害」ということばよりも受け入れやすく、「個性」のひとことで済まされるよりも納得がいく気がします。
「障害」は社会にある
ASDは「脳の個性」
とはいえ、この社会では生きにくいですよね。
少数派であるだけで生きにくいこの社会。
ASDが「障害」なのではなく、「障害」は社会が作っているということです。
生きやすい環境では障害とはなりません。しかし、生きにくい環境では障害となってしまいます。
もしも、ASDの人が多数派になったら、ASDは「障害」ではなくなるでしょう。
ASDの人にとって、現在のコミュニケーションを重視する社会、特に日本では、生きにくい場面が多々あります。
学校や職場での理解は以前に比べると少しは改善されていますが、社会の仕組みそのものは、少数派にとって生きやすくなってきたかというとそうではありません。
昭和の時代にあったような「適当さ」が許されなくなり、多様な脳の個性を包み込む力はなくなってきているように思います。
「障害」と割り切らざるを得ないとき😢
ASDは「脳の個性」
「障害」は社会にある
けれども、今の社会では、ASDを「障害」と割り切らざるを得ないときがあります。
それは、福祉サービスや「配慮」を受けたいときです。
具体的には、「療育手帳」や「精神保健福祉手帳」を取得したり、障害者雇用枠を活用したり、入試で特別配慮を受けたりするとき。
これは、年をとって、介護サービスを受けるときも同じです。
人はみな、年を取るとできないことが増えていきます。だから人の力を借りながら、使える力を最大限使って、精いっぱい生きていくのだと思います。
ところが、介護サービスを利用しようと思うと、「要介護認定調査」を受けなければなりません。その場では、「できないこと」を数えなければなりません。
社会が成熟していけば、このような気持ちの悪さはなくなっていくのでしょうか。
近視であれば当たり前に「メガネ」をかけるように、お願いしなくても当たり前に福祉サービスや介護サービスを受けられるようになるのでしょうか。
当面は期待できそうにありませんね😢
現代に生きる私たちは堂々と、今ある制度をうまく利用して生き抜きましょ!