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夏の思い出3(35年前の新人教師時代)

「夏の思い出」シリーズの3回目は、35年前の新人教師時代。
過去のシリーズはこちらです。

35年前、ナント!高校教師にはしっかり夏休みがありました。
(土曜日は午前中授業がありましたけどね。)
さすがに1年目は「初任者研修」があるのであまり休めませんでしたが、基本的には夏休みはありました。

しかも、期末考査が終わったら「テスト休み」で授業はありませんでした。(大阪府だけかも…)

そして、「自宅研修」というものがありました。

「自宅研修」というのは学校以外の場所(たとえば自宅)で、授業研究をしたり、図書館や本屋さんに良い教材を探しに行ったり、史跡などを実際に訪ねてみたりすることです。

教師は夏休みを利用して、自分のやりたい研究や授業準備が自分のペースでできました。
また、ゆっくり家族と過ごすことも、疲れた心身を癒して2学期に備えることもできました。

今よりも制約がずっと少なく、勤務評定もなかった時代、
教師の向上心や仕事への満足度は今よりもずっと高かったと思います。


新人教師時代の夏の思い出第1位は、クラブの生徒と一緒に行った海辺のキャンプ合宿。

私の初任校には「部落研究会(部落研)」がありました。
私は部落研の顧問の端くれでした。

顧問になったことをきっかけに被差別部落と呼ばれるところに住むことにしたのですが、そのあたりのことは下の記事に書いております。

部落研は毎年夏休みに、海辺でキャンプをしました。
もちろん新人の私も行きました。久美浜です。

元来インドア派でしたので、夏の海辺のキャンプなど経験がなく、恐怖でしかなかったのですが、「アーチェリー部がんばれたんだからなんとかなる」と言い聞かせ、とりあえず出発したのでした。

車に分乗して夜中に出発し、
夜明け前に到着。
早速テントを建てます。

それからテントで2泊。
私は主にテントの番をしながら、ほぼ一日中食事の準備をしていました。

私は暑さにやられていましたが、生徒たちは超元気。

学校では教師に反抗ばかりして眉間にしわを寄せている生徒も、勉強が苦手で授業中寝ている生徒も、無邪気に遊び、ご飯を食べ、テントで寝て、朝になると起きて…。

暑さにやられてぐったり、なんていう子は誰もいません。
何しろたくましい!

夜になると灯りのまわりに集まって語り合います。
家族のこと、学校のこと、悩んでいること、差別のこと。

部落研の海辺の合宿は、生徒にとっても楽しい思い出だったと思いますが、何より新人教師を育ててくれていたように思います。

ただ、あの時の日焼けはひどかった…
Tシャツと短パンに隠れている場所以外、強烈に焼けてしまいました。
合宿翌日に開催された職員会議には、足元に水の入ったバケツを置いて、腕には冷やしたタオルを巻いて、異様な様子で参加しておりました。
先輩の先生方が、あまりに真っ赤になっている新人を気遣ってくださって、バケツやらタオルやらを準備してくださったのでした。
嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしい思い出です。

今でも身体中のシミを見るとあの夏の合宿を思い出すのです。
「あの時のせいや…」と😆
(つづく?)



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