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漱石の小説で、裕福でない家に「下女」がいるのはナゼ?

漱石の『門』を読んでいて思いました。
宗助夫婦、靴もなかなか新調できないのに「下女」を雇っているのはナゼナンダロウ?


下女ってなに?

現代では使わないことばですのでイメージがわきにくいですが、住み込みで家事全般の手伝いをする人です。

「女中」とは違うのでしょうか?

もともとは座敷で接客などを行う「上女中」と、台所仕事を行う「下女中」とは区別されていて、「下女中」を「下女」といったのだそうです。

けれども漱石の時代にはその区別は薄れ、「下女」と「女中」は同じような意味で使われていたようです。

宗助の家は貧乏なのに下女がいるのはなぜか

理由1 この時代の家事労働はたいへんだった

『門』が書かれたのは1910年(明治43年)です。
この時代の家事労働は大変でした。

ちなみに日本で電化製品が普及したのは戦後(第二次世界大戦後)です。
1915年ごろから電化製品の発売が始まりましたが、1950年頃までは、一般家庭には、照明、ラジオ、扇風機、アイロンぐらいしか普及しておらず、家事は手作業でした。

煮炊きはかまどに火を入れるところから始まります。
水は井戸から汲んできます。
洗濯は洗濯板で手洗い。
和装ですから洗い張りも必要です。(『門』では宗助の妻のおよねと下女が二人で洗い張りをする場面が出てきます)
掃除は箒と雑巾で。
冷蔵庫がありませんので、日々必要なものは市場に買いに出かけます。
(もちろん市場は24時間営業ではありません。)

ですから、『門』に登場する「下女」さんも仕事がたくさんあったと思われます。

理由2 女中や下女の賃金が安かった

1959年(昭和34年)に「最低賃金法」ができるまでは、寝る場所と食事、そして少々のお小遣いを渡せば「下女」「女中」を雇うことができたようです。

実際、口減らしのために娘を女中に出す例も多く、「寝る場所と食事があれば飢え死ぬよりマシ」という状況だったのでしょう。

今の時代に個人で住み込みの家政婦さんを雇おうと思うと賃金はいくらになるのでしょう?

家政婦さんを派遣する業者のサイトをいくつか見てみると、時給では1時間2500円~3000円。通いの場合、1日8時間労働で13000円~15000円。
住み込みの場合、1日20000円~35000円+家政婦さんのための部屋やトイレなどを提供する必要があるようです。

「最低賃金法」以後と以前とでは雲泥の差があります。
しっかり賃金が支払われるようになったのは良いことに違いありませんが、実際、過渡期にはいろいろなことがあったのだろうなと想像できます。

賃金が払えずに一方的に解雇された女中さんはその後どうしたのだろうか、とか…。

そういえば昔住んでいた家には「女中部屋」があった

私が幼稚園の頃から高校1年生まで(1970年頃~1980年頃)暮らしていた家は、とても古くてすきま風が吹きすさび、床にビー玉を置いたらコロコロと転がるような家でしたが、何のためにあるのかわからない2.5畳ぐらいの部屋がありました。
台所、風呂に続く部屋で、トイレに近い部屋でした。
母が「あれは女中部屋らしい」と言っていた覚えがあります。

商売をなさっていたお家らしいので、女中さんがおられたのかもしれません。
女中さんがおられた頃のその家での生活を想像すると、なんだか面白くなってきました。

またいつか見に行けたらいいな~。




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