【過去のわたし】母に愛されたかった
前回のつづき
何で人を頼れない自分になっちゃったのか?
これを考えていくうちに、
『人に助けてもらえない』
と思っている自分がいることに気が付きました。
何でこう思うようになっちゃったんだろう…?
記憶をさかのぼっていきます。
すると、母から言われた言葉を思い出したのです。
小学生だったか、それより小さかったかは覚えていませんが、ちょっとしんどいなと思ったとき、母にそのことを言うと
「そう思うからそうなる」
とピシャッと言われたことがありました。
そのあとも
「気にしすぎ」
「すぐ治る」
「思い込み」
と度々言われ、そのたびに我慢しました。
たしかに母の言うとおり、症状はすぐに治まったし、悪化したこともありません。
母からすると、気持ちが「しんどい」にフォーカスすると、どんどん悪くなるから気持ちを逸らしなさい的な感じだったのかもしれませんが、当時の私には突き放されているような感じに聞こえたのだと思います。
そして次第に母に体調の不良を訴えることはなくなりました。
だって、もう突き放されたくないから。
私の『人に助けてもらえない』という思い込みは、『母に助けてもらえない』から始まったようです。
では、なぜ私は、すぐ治まるような体調の不良を何度も母に訴えていたのか?です。
明らかに熱があって、見るからに体調が悪いときは、すぐに病院に連れていってくれた母。
決して育児放棄なんかしていないし、適切な判断をしてくれていたと思います。
そんな母が、これは体調不良ではないと判断したということは、しょっちゅう私はそんなことを言っていたのか?
なんで?
ここを探っていくと
「もっと構ってほしい」
「もっと愛してほしい」
という思いが出てきました。
どうやら、その思いが体調の不良を作っていたようです。
でも結果、構ってもらえなかった。
それが『私は愛されていないんだ…』という、間違った解釈になってしまったのです。
中学生になり、全校集会で気分が悪くなろうが、お腹が痛くなろうが、1人で耐えてきた理由が分かりました。
言っても意味がない。
言っても助けてくれない。
どうせ治る。
自分で何とかできる。
そう思っていたし、実際何とかなりました。
自分でできることは自分でするのが当たり前。
何か出来事が起こるたびに、その価値観がどんどん強化され、人に助けを求められない原因となっていたのです。
記憶を紐解いていくと、ズルズルと過去の思いが引きずられるように出てきました。
私は母に愛されたかった。
いや、愛されていたんだけど、もっと欲しかった。
足りなかった。
なんで愛してもらってるのに足らないと思うんだろう…?
それは弟への嫉妬心から湧き出た思いでした。
弟とは2学年差ですが、歳は1歳半しか変わらない年子状態。
私が生後8ヶ月の時に母の妊娠が発覚したそうです。
そのときに断乳したと聞いています。
それからは抱っこをしてもらえないことも増えたでしょう。
さらに、弟は早産で低体重児だったため、1ヶ月ほど入院したそうです。
母は毎日母乳を届けに行きましたが、うちは父方の祖父母も一緒に暮らしていたので、母が病院に行くとき私は家に置いていかれていたそうです。
今なら分かります。乳児を連れ歩く大変さ。
預けられる場所があるなら預けていきたいと思います。
でも1歳の私目線では、弟が母のお腹にやってきた時から
弟に母を取られた。
と思っていたんだと思います。
父は私のことをとても可愛がってくれました。愛情もたくさん注いでくれました。
でも、満たされなかったのです。
少し大きくなって、幼稚園ぐらいのとき。
この時の私はすっかり育てやすい子どもになっていたそうです。
たった1歳の差なのにお姉さん扱いされること。
泣いて許されるのはいつも弟。
そんな環境でいると、『よい子』になる以外なかったのだなと思いました。
最近、母子癒着ということを学んだのですが、『癒着』と聞くと、ピタッとくっついているイメージがあったし、自分とは関係ないやーなんて思いながら聞いていましたが、めちゃくちゃ関係がありました。
次回は、その『癒着』について、学んだことのアウトプットと、私の体験を書こうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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