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身体という器の話

夏休み終盤、宿題大戦争が始まった。

一行日記は最終日まで完成しないからまあ大目に見る。

しかし、毎日聞けば「やったよ!」という勉強ドリルはサラッとした仕上がり…。

朝飯前から家の前で素振りをする、近所でも誉れ高い息子は、ただの野球バカだった。

しかし5年間で学んだ予測範囲内の事態だ。

(母が)ハチマキでも巻く勢いで臨戦体制に入る。

息子の集中力は10分だ。

ウルトラマンならピコンピコンと胸のライトで時間切れを周知できるが、息子の場合は飽きたことをお知らせする機能がない。

彼は全集中で一言を絞り出す。

「指が痛いな…」

もそっとペンダコが痛いとつぶやく。

母は「今が鉄を打つ時だ!」と言わんばかりに、「何歳になってもペンは持つんだ!生きてる証だ!」
と、ぐいっと見せた自分の指…

にペンダコが無かった…。

実際には形跡はあるがフニャッと萎んでいた。
そして、ペンダコの代わりに人差し指の付け根に硬い包丁ダコができていた。

仕事を辞めて以降、資格取得や内観ワークとペンを持っていないつもりは無かった。
しかし、いつの間にか私の指は、外で仕事をしている人の手ではなくなっていた。

子供のもうドリルを終わりたいオーラをそっちのけに、しばらくジーッと自分の手を眺めていた。

思えば、更年期特有の…指の関節が痛い症状は出ていた。
うちの家系は祖母も母もおばも一度はリウマチだと騒ぐが、結局更年期によるものだった。
曲がりはしないが、なんとなく老木のように変化する。

私もやっぱり同じ道を行くのだなあと諦めはあったが、カードをシャッフルしたり、浄化するためのノックをするたびに痛い指が煩わしかった。

厚手の掌に太く短い指は変わらない。

その指に看護師時代は出来なかったマニュキュアを、100円ショップで見つけては日替わりで塗っている。
さらにはその派手な色した太くて短い指が、野球の日焼けでこんがりしている。

もう看護師の手ではないんだよなあ〜

じっと掌を見つめながら、もうすっかり新しい自分になっていた事に今更ながらやっと気づいた。


地球で生活する上で、身体はただの器だと言うが、実際は如実に生き方を突きつけてくる。

気を抜けば緩むし、キリキリすれば顔色に出る。自信が無ければ背中が丸まり、威張っていれば顎が上がる。

シミシワたるみ、白髪にハゲ(笑)
避けては通れない変化もある。

ただし、その人の生き様が美しければそんな姿にさえ憧れるものだ。

これからの生き方が自分をカスタマイズすると思えば、シャンと背筋が伸びワクワクすらするではないか。


陰と陽。

自分の背中は自分では見ることができない。
頑張ってはいるが、天秤は片方に傾いているかもしれない。

常に俯瞰で見る事を忘れず、そしてメッセージを見逃さない。
偏れば教えてくれる。
宇宙はいつも味方なのだ。

老いて尚、感性を滲ませて発露する私であれ!


ペンダコをなくした自戒を込めて右手に誓った。










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