Forgiving yourself(自分自身を許すこと)
人間は、事あるごとに自分を罰し、自身を否定しています。
ああ、また間違えた。
ああ、思い出せ無い。私って馬鹿ね。ボケて来たか?
その度に自分責めをしています。
これを止める。
自己否定を止める。
自分責めを止める。
自己処罰を止める。
これでいいのだ。
これが今の自分だ。
ポンコツを許す。
ありのままの自分で行く。
在るがままの自分とは、明滅するナノ秒単位の今ここの自分で行く。
腕白でもいいから、逞しく育って欲しい。
ポンコツでもいいから、自分を許して楽しく生きる。
詰まり、自己否定しないで、自己肯定して、自分を愛して、許して、認めて、褒めて、励まして生きる。
言い換えると、自己否定が自己価値の否定、即ち「自己の無価値感の増幅」になっている。
詰まり、自分を否定し罰すれば、罰するほど、自分が現実世界で自己の無価値性を体験する羽目になる。
自分で自分を無価値化して、無価値化した自分に悩み苦しんでいる。
自己処罰とは、出ようとする自分の芽をモグラ叩きして、自分で潰しているのです。
人間は、自分を裁き、自分を罰したがる生き物です。
人間社会の現状は、互いを裁き合い、アラ探しし合い、他人批判と自己批判を繰り返し、互いに罰を与え合い、アイツ許せん絶対許さんと恨みを抱く、恨みと呪いの社会です。
永い奴隷生活のせいなのかな?
これからは自己肯定しかしない生き物になりましょう。
今の自分でオールオッケーなのです。
今日は昨日より進歩したし、賢くなった。
私は、毎日ますます、日々向上しています。
今のポンコツで最高最善なのです。
だから自分を許していく。責めないし、攻めない。
許すとは、癒やしです。
愛が無いから許せ無い。
罰するとは、愛の無さです。
自分を虐めないし、罰しない。
自分を傷つけないで、労(いた)わり、癒やし、愛でて生きる。
罰しないから豊かになって行く。
罰する事を止めたら、シンクロニシティが起動し始め、全て上手く事が運ぶように成ります。
モグラ叩きを止めたら、自分が浮上して好転し始め、人生が幸運化するのです。
自分が許せないとは、自分を愛せない、即ち自分を憎んでいる。自分を否定して、「他人になろうとしている」のです。
詰まりは、本来の自分に戻る事に全力で、抵抗しているのです。
だから、自分を許すと本来の自分に戻り、ありのままの自分に戻れて、自然な無理のない自分で居られる訳です。
赦し合える社会とは、愛の有る社会で、戦争も起きません。
相手が許せないから戦争をするのです。
自分を許せないから、つい他人批判をしてしまう。
自分に厳しいと、あー俺は零点だと自己採点する。
自分に甘く生きてみるか。
自分は、まあまあそこそこ、充分やれている。
自分に駄目出しはしないぞ。
自分を愛してるから、駄目出しはしない。
自分を許すと、宇宙エネルギーがスムーズに流れ出し、万事順調に事が運びます。