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「欧米化」のその先に

江戸時代は鎖国をすることで、日本固有の文化を開花させました。ところが明治維新によって文明開化し、一気に「欧米化」してしまい、日本文化はその独自性を見失いました。欧米に追いつき追い越せみたいなマインドに染まり、戦後は米国礼賛で生きて来ました。

フランスにはフランス文化があり、ドイツにはドイツ固有のドイツ文化が有りました。この各国独自の文化なんて要らないと破壊していくのがグローバリズムです。

中国は五千年の歴史だとか言ったところで、それを破壊した上での共産主義だから五千年を丸ごと斬り捨てた訳です。

つまり思想や文化は、その時代の流行とかファッションとして、儒教が流行ったり、仏教文化が流行ったりしました。

日本の「欧米化」は、文化のバージョンアップとして恐らく不可避だったし、それで良かったのでしょう。でも最新版にバージョンアップされた日本文化とは、果たして「欧米化」でいいのでしょうか?

例えばアジア各国が欧米諸国に植民地化されたとして、それで良かったねとは言い難いでしょう。近代化のために伝統文化とか捨て去っていいのでしょうか?

日本の場合、明治期に欧米化するに際し、いっそ日本語も捨てちゃおうかと言う意見さえ有りました。其れ位自国文化を見下してしまいました。

日本は、飛鳥時代に本格的に仏教が入り、神道と衝突します。その仏教は中華思想や儒教も一緒に連れて来たし、景教と言う形でキリスト教も連れて来ました。

つまり入って来た思想や文化に完全に塗り替えられ、取って代わられないのが日本文化なのです。欧米も中国も新勢力によって簡単に取って代わられるが故に、文化としても精神としても底が浅いのです。

欧米は、その源流たる古代ギリシア語やラテン語を切り捨てました。ゆえに文化が伝承されません。

思想的には、旧約聖書と新約聖書に依拠しつつも、グローバリズムに塗り替えられつつ有ります。つまり伝統文化の破壊です。歴史と言う過去を切り捨て破壊していくから、社会や国家が何時も根無し草なのです。

過去を復元していくチャンスは、日本にまだ残されています。日本なら旧約聖書以前まで遡れます。古事記以前は未開の地だったと言うのは間違いで、縄文はやはり歴(れっき)とした文化なのです。

それで縄文も結局海外からの「外来」だし、太陽神信仰もエジプト辺りから、そして旧約の民も断続的に流入して来たのでしょう。伝承していく気が無ければ、過去や歴史は忘れ去られます。

日本とは、外来を受け入れ、噛み砕いて、消化吸収していく装置なのです。

神道化とか仏教化とか儒教化とかキリスト教化や欧米化を混じえながら、全体として「日本的なるもの」が形成されて行きます。つまり欧米化で終わらない処が、日本的なるものなのです。そしてこれを神経症的に潰しに来るのがグローバリズムなのでしょう。

別の言い方をすれば、欧米で現在進行中のナショナリズム対グローバリズムの闘いでは、両者ともが敗者になるでしょう。

つまり民主主義も共産主義も共に滅びることで、いい世の中になるのかもしれません。

そして旧約以前、縄文以前まで遡って行くと、アダムとイブを一体誰が創ったのかと言う話に成り、ここで神か宇宙人たちが登場して来て、日本人の起源は実は宇宙人だったと言う壮大な話になって来ます。ルーツも辿り過ぎると、結局そう成ってしまいます。

過去を破壊したことで、現政権が存立し得る。そんな国家って底が浅く泡沫(うたかた)存在に過ぎません。

歴史を辿って、人類のルーツを尋ねて行ったら、地球外生命体に辿り着く。其処まで行かないと宇宙に繋がりません。旧約や新約を聖典とする既存の宗教やイデオロギーでは、宇宙信仰にまで至り得ないゆえに、彼らの宗教やイデオロギーはまだまだ未熟なのでしょう。これから宗教戦争とイデオロギー闘争で最終決戦をやったら、人類は本当に滅亡しそうです。

自由や平等は理念として素晴らしいけれど、フランスにもシンガポールにもそんな物は実在しません。貧富の差だって歴然として有ります。つまり誰も無くす気なんて無い。じゃあ階級や格差を何時に成ったら無くせるのでしょうか?人類には無理なんでしょうか?

中国でも米国でも、競争社会に疲れ果てた若者たちの無気力が、クローズアップされています。個人主義や身内主義だから、社会は脱落者を救えません。となると行き着く先は・・・。

西洋文明の後に来るのは、東洋文明なんでしょ。それでは過去や伝統を掬い取れていません。

「欧米化」のその先に、視えて来るものが、イデオロギーや宗教で無いことは間違い有りません。




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