酒蔵を始めます。Vol.2
こんにちは、弥栄醸造代表の坂本イッコーです。
前回の記事を読んでくださった方、本当にありがとうございます!
多くの方から色々な反響をいただき、書いてみて良かったなと思っています。これをモチベーションに今後も記事を書いていけそうです(笑)。
もし今回の記事から読み始めてくださる方は、是非ともVol.1も読んでもらえると嬉しいです!(Vol.1へのリンクを下記に貼っておきます。)
という訳で、第二弾の今回は弥栄醸造について、どうして柏崎で酒蔵を始める事になったのかを中心に書いていこうと思います。ご興味をお持ちの方はこのまま読み進めてもらえると幸いです。
地元横浜での酒蔵開業を目指す
まずは神奈川県出身の私がこの弥栄醸造をなぜ柏崎で創業する事になったのか、書いていこうと思います。
地元が神奈川県横浜市の私は、阿部酒造を卒業後は地元に戻り酒蔵を始めようと考えていました。そして1年程前から横浜を中心に醸造所にできる物件探しを始めました。
そこで直面した問題が高額な契約金と家賃でした。醸造をしようとするとある程度の広さは必要で、設備を入れる事を考えると1階の路面店である必要もあります。そうすると家賃は安くても月額30万円、契約金の相場は家賃6ヶ月分でした。しかも製造免許が交付されるのに申請から約6ヶ月ほど掛かるので、賃貸契約してから約半年はただ家賃を支払う期間が発生します。単純計算でも契約金・半年分の家賃で360万円、これがイニシャルコストとしてのしかかってくる事を考えると、横浜で酒蔵を始めるのは現実的でない事が判明しました。今思うとそんな事さっさと気付けとも思うのですが…(笑)。
横浜を諦め地方に活路を見出す
こうして横浜で酒蔵を始める事が難しいと判断した私は、どこかの地方で空き家をリノベーションして醸造所にしようと考えました。そこからは起業や空き家の活用に対する支援の手厚い自治体や地域おこし協力隊の募集を探し始めました。(地域おこし協力隊はその地域に根付く事で任期が終わった後にその地域での起業がしやすいと考えたからです)
そんな中、阿部酒造の製造責任者であり6代目蔵元の阿部裕太氏(以下親しみを込めて「裕太さん」と呼びます)から「今柏崎に住んでいるんだったら、1から地方を探すより柏崎で始めたらいいんじゃないか?」と助言をもらいました。
確かに私が横浜で酒蔵を始めたかったのは、漠然と地元だからという理由で考えていたに過ぎず、自分の思いを深掘りすると優先すべきは少しでも早く醸造所を建てて自分で酒造りができる環境に辿り着く事でした。
古民家の家主さんとの出会い
裕太さんの提案は私の優先すべき事から考えるとこれ以上ない案で、2年以上住んで愛着の湧いていた柏崎の地で酒蔵を始める事にもはや何の抵抗ありませんでした。そこからは柏崎で古民家を探す方向にシフトし、裕太さんの協力の元、柏崎南部の宮之下地域で空き家となっている古民家をお持ちの方に巡り合う事ができました。
(間に入っていただき家主さんをご紹介くださった、矢島衛さんにここで感謝の意を表させていただきます。矢島さんは阿部酒造の契約農家の1人であり、宮之下の隣の小清水集落で奥様と素敵なカフェをも運営されているので、柏崎にお立ち寄りの際は是非とも足をお運びください!)
そうして今年3月に家主さんとお会いし、自分がこれからやろうとしている事をお話しする機会をいただきました。家主さんはとても興味を持っていただき、その日のうちに空き家を使わせていただく許可をもらいました。こうして紆余曲折ありながら酒蔵の場所が決まり、晴れて柏崎で酒蔵を始めるスタートに立つ事ができました。この時はこれまで悩んでいた事が嘘のようにとんとん拍子で話が進んでいきました。縁もなくただ酒造りの修行の為に飛び込んだ柏崎で、素敵な縁に巡り合う事ができ、感謝の念に堪えません。
弥栄(いやさか)に込めた思い
こうしてとても有り難い縁をいただき、柏崎の宮之下で酒蔵を始める事になりましたが、私が弥栄醸造をどんな蔵にしていきたいかをここからは書いていこうと思います。
そもそも弥栄醸造の弥栄(いやさか)とはどんな言葉かというと、古来からの日本語で「ますます栄える」「繁栄を願う」という意味があります。
「弥」には「いよいよ」や「ますます」、「いちだんと」「大層」という意味があり、「栄」は「価値を認められる」「名誉」を表します。これが合わさって、繁栄やさらなる発展を表した縁起がよい言葉として使用されます。また、「万歳」に意味が近く、めでたい意味で使われることもあります。
私が酒蔵を始めるにあたって大事にしたい事は以下の通りです。
自分が生み出すプロダクトを通じて、
原料の生産者の方からそれを消費してくださるお客様に至るまで、
それぞれの人生がより栄えあるものになって欲しい。
そんな思いを込めて弥栄という字を会社の名前にする事を決めました。
宮之下でやっていきたい事
宮之下は柏崎の中でも中心部からは離れており、周辺を田んぼに囲まれている静かで長閑な地域です。ですがその田んぼの持ち主の方々はご高齢により米作りをできなくなってきており、生産組合でそういう田んぼを集約して維持しているのが現状です。
私は宮之下でできたお米を中心にお酒を造っていきますが、将来的には地域で管理が難しくなった田んぼを弥栄醸造で任せてもらい、自社で米作りもしていきたいと考えています。
柏崎で住むようになり来て心から思いましたが、新潟はやはり酒どころであり米どころでもあります。そんな田んぼのある日本の原風景的な環境を後世に残していくべく、微力ながら自分にできる範囲でやれる事をやっていきたいと思います。
また宮之下の集落は空き家も増えてきています。私は酒蔵での雇用はもちろんですが、地域の空き家を活用したカフェやレストラン・宿泊施設も併設し、宮之下を魅力的な地域にする事で働く人・旅行で訪れる人を増やしていきたいとも考えています。
自分の中では酒蔵を中心とした「村(経済圏)」の確立をイメージしており、酒蔵を中心に宮之下地域が盛り上がりを見せ多くの方の交流するエリアにしていく事が長期的な目標です。
次回に向けて
ここまで柏崎で酒蔵を始める事になった経緯、弥栄に込めた思いを書かせてもらいました。そろそろ会社のロゴのデザインも固まってきているので、次回はその辺りのお披露目と、どんなお酒を造っていきたいのかを中心に記事にしていこうと思います。
最後まで読み進めてくださり、本当にありがとうございました!
不定期となりますが、次回の記事も楽しみにお待ちいただけると幸いです。
弥栄醸造 代表
坂本 イッコー