縄文―1万年の美の鼓動―
こんにちは!
少し前に話になってしまうのですが、東京国立博物館で開催されている「縄文―1万年の美の鼓動―」に行きました。
縄文時代についてまっっったく知識がなく(日本列島ではじめに出てくる時代だよね?くらい)「縄文ってなんだ?何を見たらいいんだ?!」という気持ちと勢いでいってきました!(笑)
でも、とっても楽しかったし「土偶ってこんなにあるのか!」ってくらい、たくさん展示してあるのが見られる貴重な機会でした。
これを読む人と美術館での時間を共有できたらなー、と思います。
なんで縄文時代っていうの?
まず、どうして「縄文時代」という名前になったのか、です!
明治時代にエドワード・S・モースが横浜駅から新橋駅に向かう汽車の窓から貝塚を発見!(大森貝塚です)
のちにモースによって日本初の発掘調査が行われた際に発見された土器を「 Cord Marked Pottery」と報告したことに由来します。
「索紋土器」(さくもんどき)
↓
「縄紋土器」(じょうもんどき)
↓
「縄文土器」
と表記が変わっていき、現在の「縄文時代」に落ち着いたのは戦後のことです。
縄文時代の区分
縄文時代は6期にわかれています!
「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」
紀元前11000年前から始まっているようです。縄文時代は長いですね…!
年表を作ったので参考にしてみてくださいね。
東京国立博物館の図録を参考に作りました!縄文時代の始まった年数は諸説あるようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%81%B6
土器の見分け方は、草創期〜早期の土器は、底がとがっていて、地面に挿して立たせていて、前期から底が平らで自立するようになります!
火焔型土器(かえんがたどき)
中期に作られた見た目のめちゃめちゃかっこいい「火焔型土器」。
粘土を何度も何度も貼り付けてつくられていて、貼り付ける以外にもヘラでなぞったり、空洞にしてみたり、色々な装飾方法が取られていて、まさに「美の結晶」!なんだそうです。
こんなにかっこよくって匠の技なのに、1個じゃないんですよ!!
他にもたくさん作られていて「縄文展」で火焔型土器がたくさん並んで展示されている姿を見るのは圧巻でした…!
この火焔型土器、日本各地で発見されていることから「交易に使われたのでは?」と言われています。なんで「言われています」とにごした言い方になるかというと、縄文時代って文字がないんですね。
だから、「本当にそうなのか」というところが分からないんです。出土したものから推測するしかないんですって。
国宝土偶
土偶は、人間(特に女性)を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられています。故意に破壊されたと見られる状態で出土することが多いです。乳房や臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は、農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多いです。
ハート型土偶ちゃん。
古墳時代に製作された埴輪(はにわ)とは区別されています。埴輪は、古墳に埋葬されたりするものだからです。
はにわちゃんたち。
さて、土偶は、国宝に指定させれいるものが5つあります!
「縄文展」では、この5つが見られるというのも魅力でした。
まずは、「縄文のビーナス」
(みんな素敵な愛称がついてます。イカしますね!)
縄文中期に作られたとされている土偶です。現在でも光沢を放つほど丁寧に磨かれていて、よく見ると全体がキラキラしているのですが、それは、粘土の中に「雲母片」が含まれているからなんです。まるまるしていてかわいいですね〜!
次は「縄文の女神」
縄文時代中期に作られたとされています。45センチあるのですが、これは現存する土偶の中でも最大の大きさです。
発掘の時は、頭部、胴部、腰部、脚部がはらばらの状態で出土しましたが、くっつけて完全な土偶に復元されました!
八頭身のスタイル抜群の土偶さんです!
続いては「合掌土偶」
縄文後期に作られたとされています。
膝を立てて座り、胸の前で手を合わせる姿から「合掌土偶」と呼ばれています。
複数の破片で出土しました。この土偶の割れ口には、天然のアスファルトが付着していたことから、壊れたものを修復して、再び使っていたのではないかと考えられています。
椅子に座っているみたいなポーズが愛らしいですね!
次は「中空土偶」(愛称は「茅空(かっくう)」です)
縄文後期に作られたと言われています。
「中空土偶(ちゅうくうどぐう)」というのは、中が空洞で作られている土偶のことです。
北海道の旧南茅部町(みなみかやべちょう)で出土しました。南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられています。ジャガイモ畑で偶然発見されたんだそうです!
表面がよく磨かれていて、薄手に作られ、全身を文様で精緻に飾られています。
最後は「仮面の女神」
ごめんなさい、これだけ写真がありません…!
「仮面の女神」は、縄文後期に作られたと言われています。
顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に「仮面土偶」と呼ばれる土偶です。「仮面の女神」は、顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっています。
右足が壊れて胴体から外れて出土しましたが、これは人為的に取り外したことが明らかになったそうです。発掘調査でそこまでのことがわかるなんてすごいですね…!
参考URLを貼っておきます!
国宝「仮面の女神」
みなさんはどの土偶がお気に入りになりましたか??
おしまいに
まだまだ分からないことだらけの縄文文化!
こんなに分からないものか!ということが分かったのが今回面白かったところです。交易に使われた「かも」な土器があったり、農作物の豊饒を祈っていた「かも」な土偶があったり、知らないことがたくさんありました。
縄文文化にスポットがあたる展示は珍しかったと思うので、一度に一万年分見られたのは貴重な機会でした!
地域別での土器、土偶の形に違いがあったのかとか、区分によって生活が営まれた場所に変化(移動したりしたのかな?)はあったのかなど、見に行ったからこそ思い浮かぶ疑問もありました。
いやー、やっと書けたぞ「縄文展」!!
一万年の美の鼓動感じたなあー!!!
おしまい
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