書籍レビュー『三の隣は五号室』長嶋有(2015)私が今いる場所は、かつて別の誰かが居た場所
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自分が住んでいる部屋の前の住人を
想像してしまうことはないですか?
私は配信サービスなどを利用して、昔の映画やドラマを観たり、昔の音楽を楽しむことが多いのですが、そんな時に想像してしまうことがあるんですよね。
「もしかして、私よりも前の住人がこの部屋で同じものを観ていたかもしれない(あるいは聴いていたかもしれない)」
私が住んでいるのは、築30年程度の借家なので、こういうことが想像しやすいんですね。
例えば、私はよく台所で食器を洗うんですが、私にはシンクがとても低く感じて、腰が痛くなる時があります。
たぶん、これは我が家が30年も前に設計された住宅だからです。当時は女性が台所で家事をする想定が一般的だったでしょう。だから、シンクも低く設計されているのだと思うんですよね。
今どきの住宅をあまり知らないので、実際のところはわかりませんが、たぶん、今の一般的なキッチンではもっと高い位置にシンクがある気がします(日本人の平均的な身長も高くなっているし、男性も普通に家事をする時代)。
具体例を挙げていくと、キリがありませんが、ちょっとした時に「古さ」を感じてしまうのが、余計に私の妄想癖を刺激するのだと思います。
こんな話は自分がしょっちゅう思っていることでも、取り立てて他人に話す内容ではないですよね(少なくとも私は家族にすらこういう話はしたことがない)。
本作はそういった日常の何気ない(取り立てて話すこともない)1ページが描かれた物語です。
読みはじめると
「第一藤岡荘」というアパートの住人の生活が次々に描かれていきます。
住人たちはいずれも同じ五号室の住人でした。彼ら、彼女たちは生い立ちも職業も異なる人たちですが、住人たちが一様に思ったのは「変な間取り」のことでした。
第一話では、この部屋がいかに変な間取りであるかが淡々と描かれていくのです。
「文章だけでは想像しにくいな」と思っていたら、第一話が終わったあとに、しっかりと部屋の間取りが図解されます。
そして、目次、第2話~最終話という順に続くのですが、この構成が見事でしたね。
映画とかでもよくあるじゃないですか? 最初にタイトルを出さないで、しばらく話が進んでからオープニングがはじまるやつ。あんな感じのしゃれた印象を受けました。
第1話で唐突にはじまった物語は
正直なところ、私も読みはじめた時は「?」となったんです。
というのも、この小説は時系列で物語が進んでいかないんですよね。
先ほど「住人たちはいずれも同じ五号室の住人でした」と書きましたが、ここに違和感を持った方もいるでしょうね。
つまり、この小説は歴代の「第一藤岡荘の五号室」の住人の生活を描いた物語なのです。
第1話から、その住人たちが暮らした年代も丁寧に記載されています。
彼ら、彼女たちが暮らした年代は1966~2016年までで、13世帯が登場するんですね。
こんなにたくさん登場人物がいたら混乱しそうですが、彼らの名前には必ず「数字」やそれに該当する名前(霜月=11月など)が付いているので、順番はわかりやすくなっています(もっと言うと、本作においては登場人物を個別認識することはそれほど重要ではない)。
私がこの構造に気が付いたのは、第2話(「シンク」)でした。
ガスの元栓に取れずに残っていたゴム管の切れ端に、引っ越してきた住人が悪戦苦闘するさまが描かれ、それがようやく取れると、今度は時代がさかのぼり、前の住人がどうして切れ端を残してしまったのかという描写が続いていくのです。
本作では、このように住居の同じ場所で違う年代の違う登場人物が何をしたかというのが「リレー」のように続くパターンが多く見られます。
これは物語として、かなり画期的なシステムに感じました。
個人的には、作者の長嶋有がコラムニストの「ブルボン小林」名義で書いたゲームのコラムで、『テトリス』を谷川俊太郎の詩『朝のリレー』に重ねて綴ったものがあったのを思い出しましたね。
作者はニンテンドーDS の『テトリスDS』で、世界中の人とオンライン対戦ができるようになった時、この詩を思い浮かべたのだそうです。
『朝のリレー』は、ほぼ同じ時刻に違う場所にいる人が何をやっていたかを描いたものですが、本作『三の隣は五号室』は「違う時間(年代)に同じ場所で人々が何をやっていたか」を描いた作品なんですよね。
冒頭でも書いたように、私も同じような妄想をすることがあります。
私が今ここにいる場所は、昔、私とは違う誰かが居た場所であり、私が去ったあとも、また別の誰かがそこに収まるということです。
こういうことは、普段から思ってはいても、なかなか言葉にする機会がないことで、やはり、作者はこういった「普段から思っていること」を乗せて作品に昇華させるのがうまいです。
物語の構造、日常の描写、そして、なんとも言えない読後感がたまらない作品になっています。
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