映画レビュー『キッド』(1921)「かわいい」は武器である
チャップリンが
はじめて手掛けた長編作品
ゴールデンウィーク中は、
チャップリンの映画を
いくつか観ました。
ここでは、
特に紹介したいと思った、
本作を取り上げます。
『キッド』はチャップリンが
はじめて手掛けた長編映画です。
本作を観る前に、
この前後に発表された
短めの作品もいくつか観ました。
それらも大変おもしろかったのですが、
(なんせ、私がチャップリンを
観るのが二十数年振り)
チャップリン的には、
スランプの時期にあったらしく、
アイディアの枯渇に
悩んでいたようです。
そこではじめての長編を手掛け、
「笑い」だけでなく、
ストーリー性の高い作品を
発表していくきっかけに
なった作品でもあります。
本作はサイレント時代の作品であり、
当時は音楽も劇場での
生演奏がつけられていた時代です。
'71年に「サウンド版」と題し、
チャップリン自身が作曲した
楽曲が付いた状態で
上映されました。
また、このサウンド版では、
チャップリン自身が
「感傷的過ぎる」と思った
部分をカットし、
上映時間は68分から
53分に短縮しています。
現在、配信で観られるのは、
このサウンド版の方です。
笑いと たぶん涙の物語
物語は一人の婦人が
慈善病院から赤ん坊を抱えて
退院するところからはじまります。
女性は恋人に捨てらた身で、
悩んだ挙句、
赤ん坊を道端に止まっていた
見知らぬ車の中に
置き去りにしてしまうのです。
「この子をよろしくお願いします」
という手紙を付けて。
運悪く車は
二人組の泥棒に盗まれ、
泥棒たちは、この赤ん坊を
道端に置いていきました。
そこに偶然、通りかかるのが
チャップリン演じる
放浪者の男です。
男はすぐに赤ん坊の
存在に気づき、
置き去りにすることもできず、
困り果てます。
赤ん坊の面倒を
見てくれそうな人を見つけては、
彼らに赤ん坊を
託そうとするのですが、
誰も引き取ってはくれず、
泣く泣く自分が住む
ボロアパートに
連れていくことになりました。
子どもを捨てた婦人の方は、
思い直して、
車が止めてあった場所に
引き返すのですが、
すでに車はありません。
女性はショックのあまり気絶。
物語の舞台は5年後に
移り変わり、
放浪者の男と
成長した子どもの生活が
描かれていきます。
「かわいい」は武器である
私は事前にチャップリンに
関する本を読んでおり、
彼の妥協のない制作スタイルを
知っていました。
(納得のいくまで撮り直し、
1シーンに1年かかったことも
あるんだとか)
だからこそ、
余計にそう思うのかもしれませんが、
とにかくシーンに
一切の無駄がありません。
あらすじを書いてみて、
より実感したのですが、
映像においても、
流れるようにシーンが展開していき、
考え尽くされたシナリオであるのが
よくわかるのです。
それでいて、
やはり喜劇王・チャップリンの
作品ですから、
隙があれば笑いの要素も
ジャンジャン入れていきます。
子どもと一緒になって、
ガラス売りの商売をするシーン、
(子どもが遠くから石を投げて、
窓ガラスを割り、
そこへ偶然を装って
ガラス売りのチャップリンが登場)
家の近く広場で
子ども同士のケンカがはじまり、
大人たちが夢中になるシーン、
(子どもが相手を
ダウンさせたところで、
チャップリンが割って入り、
ボクシングのインターバルを真似る)
いずれのシーンも
思い出しただけで、
笑みがこぼれてしまうほど、
微笑ましい場面です。
しかし、ただおもしろいだけの
作品ではありません。
オープニングでは、
「笑いと たぶん涙の物語」
というテロップが
表示されるとおり、
子と親の愛情を描いた
物語でもあるのです。
(親には生みの親である婦人、
育ての親であるチャップリンも
含まれる)
チャップリンが演じる
喜劇の枠の中に
「子ども」という新しい要素が
入ったことも見過ごせません。
おそらく、
子役が入ることによって、
作品のおもしろさが
一層引き立つことを
チャップリンは
わかっていたのでしょう。
子役のジャッキー・クーガンが
また一段とかわいいんです。
(彼は映画界はじめての
子役スターでもあり、
彼の名前は「クーガン法」
という法律にもなっている。
クーガン法:子どもが稼いだお金を
両親が浪費してはいけないという法律)
チャップリン自体にも
キュートな印象がありますね。
かわいいからこそ、
観客もまたその映像に
虜になるのでしょう。
【作品情報】
1921年公開(サウンド版2017年)
監督・脚本:チャーリー・チャップリン
出演:チャーリー・チャップリン
ジャッキー・クーガン
リタ・グレイ
配給:ファースト・ナショナル
上映時間:オリジナル版 68分
サウンド版 53分
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