一番話を聞いて欲しいのは誰ですか??
今日はふと思い浮かんだ、母にまつわることを書きたいと思う。
うすうす感じるが蓋をしたじぶんの気持ち
うちの父は中学生になると家庭学習において、かなり首を突っ込む父だった。家庭内で二者面談があり、定期テスト前になると勉強の計画や一日のどこに勉強時間を確保するかとかを提出するよう言われたり、勉強の進捗の報告が必要だった。いつ二者面談があるかどうかは父次第で、突然大きな声で「たかこーーーーーーちょっとこーーーーーーい!!!」と呼ばれた。
勉強はするものだと思っていたし、少々嫌なことがあってもなんとかやるみたいな部分は持ち合わせており、父との二者面談が憂鬱ではあったものの、それを「イヤ」とか「止めて」とか言う事はなかった。
ただ、さすがにその父の干渉ぶりに母が心配をしたのだろう、一度だけ私に聞いてきたことがあった。「お父さんとの面談、あんたは平気なの??」と。
私は「んーーーーー」と10秒くらい考えた挙句、「別に大丈夫じゃない??」と他人事のように母に言った気がする。
これが大学受験まで続くので、浪人したのも含めると7年間この面談は続いた。今思えば憂鬱な面談をよくも7年も文句を言わずに続けたろうと思う。文句は言わなかったが「この親とは離れたい」と言うのは確実に心の中にあった。
ただただ味わえたじぶんの気持ち
もう一つ思い出したエピソード。それは、中学校の時仲の良かった子から急に避けられるようになり、なんだか階段の踊り場に呼び出されたりするようになった。私は思い当ることが無かったので、呼び出されて「最近さーなんなの??」とか言われても、「???」みたいな反応しかしなかったと思う。その後、教室に戻っても私自身が「あの子、どうしたんだろう??」って思うくらいで、いじめられてるとか、リンチされてるとか、仲間外れされてるとは感じなかった。クラスがざわつく感じも感じた事が無かった。
とは言え、こんなことがあったという事だけは、母に話していたようで、母は全部聞いてくれた。それでスッキリしていたと思う。
そしてこのお友達との自覚無しのトラブルはすぐに終わった。
でもいつだろうか??母だろうか??先生だろうか??誰か他の人だろうか??誰かからかも忘れるほどだが、この時どうやら母は「娘がこういう目に合っている」と学年主任の先生に掛け合い、言ってしまえば介入したと言う事を知った。(へーーー)と思った。お母さん、なんも口に出さなかったけど心配だったんだと。その時初めて知った。今考えれば母がしたくてとった行動であって、母はこの件に関して恩着せがましく、お母さんのお陰で終わったねなんて一言も言わなかったし、母のお陰で自覚無しのトラブルがすぐ終わったのかもしれないけど、別にお母さんありがとうとも思わなかった。本当に(へーーーー)って感じだった。
違うところにあった私の「本音」
この二つのエピソードで湧いてきたのは、最初は母に話を聞いて欲しかったんだ、と思っていた。
でもこの本質は聞いてもらう事ではない事に気付いた。
\それは私"の"「願い」の話/
母に話を聞いて欲しかったのは、私の母”へ”の願い。言ってしまえば母にやって欲しい事。でもこれって、母が私の思った通りに動いて欲しいと言う事でもあって、けしてそれを望んでいる訳ではない。相手をコントロールしたいとは思っていない。
じゃ、私”の”「願い」は何だったか??
それは、、、ただ、じぶんの気持ちをじぶんで味わいたい。と言う事。母にはその手伝いや、そのきっかけを作って欲しいという事だった。
父との二者面談に関しては、どこかで憂鬱と感じながらも、イヤだ、止めて欲しいとは言わず、母には「大丈夫じゃない???」と伝えた。
友達との無自覚なトラブルに関しては、起きた事とじぶんの違和感をただただ母へ伝えた。
前者はじぶんの気持ちをじぶんで味わえなかったパターン。
後者はじぶんの気持ちをじぶんで味わえたパターン。
もちろん、母に聞いてもらったか否かの違いはある。
でも本質は母に聞いてもらったかどうかではなく、じぶんの気持ちをじぶんで言葉にして、音にして、心の中にあったものを外に出して、表現出来た事。
心の中に渦巻いていたものをためず出したという事。
薄々だったけどあるのに、言葉を与えない事で気付けなかった気持ちを味えなかった事が一番悲しかった。
母に聞いてもらいたい訳じゃない、母に分かってもらいたい訳じゃない。
その証拠ではないけど、無自覚だった友達とのトラブルについて、母が学校に掛け合った事に関して、すごーーーく感謝してるとか、心配してくれてありがとうとかはなかった。そして、親に何かして欲しいとも思ってなかったように思う。
ただただ、私の願いはじぶんの違和感を、じぶんの気持ちをじぶんで十分味わいたいという事。非常にシンプルな事。
子どもが心の底で望んでいる事は、親に何かして欲しいという行動ではなく、子どもがじぶんの気持ちを言葉にし、音にし、表現する事で、じぶんの気持ちを十分に味わう時間であるかもしれない。
何かを「する」「しない」という事ではなく、ただそばにいて気持ちを出す時間を設ける事。そんなシンプルなことを子どもは願っているんじゃないかな。
そんなシンプルな答えを出せるようになったのは、、、最近熱いセルフチューニング 。ざわつく思いも、落ち着かない気持ちも出どころはピンク色。私"の"願い、私"が"願っている事という「本音」に合わせていくメソッド。
と言う種明かしをして、ここでお・し・ま・い。