教育ジャーナリスト おおたとしまささんがおっしゃっていた、自由の定義。
あらゆる価値観から解き放たれるとき、初めてなれるのが「自由」。
逆に言えば、自分の価値観で生きる時、自由になれる。
自分の価値観っていったいどこにあるのか、何なのか?ってハッキリ、そして全てにおいて分かっているものでもない。自分の価値観を知るための棚卸をする方法はたくさんあるし、一人で出来るものも多い。けど、もう一つ自分の価値観を知ることで大事なことは、やっぱり自分と「異」なるものと触れる事。
おおたとしまさ さん も仰っていたけれど、
異質なものが触れるとイノベーションが起こる。
異質なものって、驚いたり、不思議だったり、なんか落ち着かなかったりするし、違和感だったりする。自分の価値観には無いものに触れる時って、心が揺さぶられて、動揺したりすることもある。心地よいものもあれば、到底心地いいとは言えないものもある。
心地よくない時。すなわち、自分の思った通りでない、到底受け入れられない、と思った時、その時でも、その異質な風を吹かせておけるか?
異質な風の存在は否定できない。否定できないのに、無いものにしようとした途端、見ないふりをしようとした途端、こっちに吹いてこないでよと思った途端、その風吹かせないでくれないかと思った途端、ある種のストレスがやってくる。もう、自分以外の異質な風はそこらじゅうで吹いているのに。
自分は何者であるか?そんな自分の価値観やアイデンティティのような根をじっくりと張りめぐらせることと、いろんな風の中でもそよいでいられる枝や葉を持つこと。そして、致命傷にならぬレベルで倒れない幹を持つこと。枝葉はたくさん傷を負ったり、いらないのは切ってしまったりすればいい。
吹く風はコントロールできないのだから、吹かせておくしかない。
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なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。