孤独感なら変えられる。
自分の記事を取り上げてもらって、そのインスピレーションで何か考えたり、感じたりするきっかけになることは、、、私の本望であり、私の心が震える瞬間でもある。それが私にとっては「インパクト」というものであり、このインパクトをたくさんの投下したい。スティーヴジョブズが言った「宇宙に凹みを残したい」。この一言の意味が今ちょっとだけ腑に落ちた。
何か、「ん?」って思う時は、自分とは違うもの=自分には無いもの に触れた時に起こる反応だと思う。
私はこの瞬間こそ「己」に触れる瞬間であるとも思っている。
起こった反応があるなら、そこに、本音が必ず存在する。自分に「無い」や自分と「違う」ということへの、恐れ。自分と世界は隙間なくなめらかだと思ていたものが、分断され、「己」が孤独であることを思い知らさせる瞬間だ。
その、恐れや孤独を自分で抱きしめられないと、それを誰かにしてもらいたくなってしまう。
恐れや孤独は自分が存在している、と同時に存在しているようなものだから、否定をするとしんどい、なくそうとするとしんどい。だって同時に存在するものを否定することは、自分の存在を否定することとイコールであるから。
だから、私は恐れや孤独を抱きしめたい。愛したい。
恐れや孤独から目を背け、いつも誰かに抱きしめてもらうだけだと、恐れや孤独と自分を同時に存在させることがしんどすぎて、人は、何かにおぼれることがあるのだろう。
私達人間は孤独を埋め合うために、誰かと一緒にいたくなるのか?
孤独を分け合うために、誰かと一緒にいたくなるのか?
孤独はしんどいのか?孤独は憎むべきものなのか?
いよいよ分からないことを書き残しちゃってるけど
自分の孤独を愛し、自分で抱きしめられたら、孤独がしんどいと思っている人の孤独は暖めてあげられるスタートラインに立てる気がする。
誰かといても孤独であることは変わらない。でも誰かといることで孤独感は変わる。