「教育とは、死に至らせない失敗を安全に経験させるためのもの」
新型コロナの影響でこれまであまり見てこなかった、ライブ配信や動画を観るようになりました。インプットはやっぱり大事で、思いや考えを広げてくれるし、何よりモヤっとしていたことを言語化してくれるとき、すごくスッキリするものだし、その人に共感をしたりすごい!と思ったりするものですね。
今更感で一杯なんだけど、北海道で宇宙航空関連技術・研究開発の事業を行っている株式会社植松電機の植松努社長のお話。事業をする傍ら、全国に講演をして回ってもいる。植松社長のブログは読んでいたけれども、動画は観てなかったなぁと「思いは招く」というお話を聴いてみました。
夢の話、お金の話、成長の話、仕事の話、学びの話…
彼は「どうせ無理」は人の自信と可能性を奪うもの、だから「だったらこうしてみたら?」とやったことのない事にチャレンジし夢を追いかける大切さを伝えています。人の可能性が奪われない社会を目指されています。
沢山の心に残る言葉で溢れていたのですが、その中でもずっとモヤモヤとしていたことをスパッと言葉にして下さってました。
それは、「教育」とは何か???という事。
聞き洩らしてしまうほどに、スパッとサクッと仰っていました。
教育とは、死に至らせない失敗を安全に経験させるためのもの
私はいかにママがごきげんに育児が出来るかばかり考えているので、子どもへの教育、しつけ等についてもよく考える。その時よくあるのが「どこまでやらせるのか?」という問題です。
多くの場合、我が子には苦労をかけさせたくない、辛い思いをさせたくない、と思う親は多い。失敗してほしくない、という思い。大事な我が子だからこそ抱く思いですね。
ただよく考えて欲しいんです。「失敗」をいつから苦労やら、辛い事と捉えるようになったかを。赤ちゃんの頃は立っては転び、歩いては転び、持っては落とし、その都度がっかりなどしないのに、いつから失敗は恥ずかしくて、カッコ悪くて、なるべくなら避けた方が良くて、ネガティブなモノになったのだろうか??
そして、失敗を避けて通ることは、時に子どもがする経験を奪うことになっていることだと同時にハッキリと自覚している親はどのくらいいるでしょうか?危ないから、大変だから、やったことないから、みんなやってないから、と言って、できたら失敗を避けたい理由は誰が作っていて、失敗が嫌な人は一体誰なのか??
一度大人は立ち止まってよく考えた方がいいと思います。
成功か失敗かではなく、数々の失敗の先に成功がある。いや、なんなら小さな成功の積み重ねの先に、ただ大きな成功がある。ただ叶えたい「願い」がある。失敗のない世界にすることだって出来るのが私の持論ではあるのですが。
ただ、多くの場合私たちが「失敗」として認識するのは、他の誰かやじぶんの「思い通りにはいかなかった」時だと思います。
よく考えてみて下さい。これは、他の誰かやじぶんの何らかの基準が失敗かどうかを決めているという事ができないでしょうか??失敗かどうか決めてるのは、目の前のうまくいかなかった事実じゃなく、「他の誰かやじぶんの何らかの基準」だということに。
そう信じて育ってきたのが今の大人たち。そんな大人たちが大多数だから周りの目を気にして、失敗を避けてようとするのだろうと思います。
だからこそ、この植松社長の話は多くの大人に響くわけです。
そして、子どもは失敗が大人にとってどういう事か、大人がどう失敗を認識しているかを知らないから、なんでもやろうとします。親の言う事をきこうとしなかったりします。失敗は出来たら避けた方がいいものと信じてきたから、失敗を恐れず何でもやろうとする子どもをどうにかした方がいいと思い、これは「しつけ」だと正当化して、制限し、危ない橋を渡らせようとしたりする。失敗を恐れない事に大人は慣れていません。
でもこの植松社長の動画を観て、
「あ、死ななきゃいんじゃね??」
って、ふと思いました。
死に至らない失敗をたくさんさせてあげること。失敗と気付かない程にたくさんの経験をさせてあげる事。いや、経験をさせて「あげる」ではなく、親にとっては未知である経験を親が「許す」こと。それこそ教育の役割であり、親の役割なのではないかと、植松社長の動画を観て考えさせられました。
社会が、日本が、学校が、すぐには変わらないけど、先生や親という子どもにとって身近な大人たちがこの空気を醸し出せるといいですね。