孤独と孤独感は違う
昨日、人生初じゃないだろうか…
頭が痛くて、
「あ・・・、あたし、ヤバい、、死ぬかも…!?」
って思ったの…(笑)
誰でも、体のどこかが痛すぎて「死ぬかも…」って思ったことくらいはあるものだろう…そういや、小さい時にも一度は思ったことがある。
私は体が丈夫だと思う。両親もずっとそう言っていた。「うちは、病院通いが無いねって。それだけはありがたい。」って。小さい頃、全身イボだらけになった時も、病院じゃなく、イボ取り神社(としか記憶してない)へ行ったら、イボはなくなった。
父親なんかは「風邪をひくのは、気合が足りないからだ!」なんて、根性論を言う人だったから、あーうちの家族は根性があって、すぐに体に来る人は弱い人なのかと、本気で思っていたように思う。
だから、しばらく長い間、体にすぐ出る人を心から理解してこなかった。例えば、女性で生理の日は薬を飲まないと無理で…みたいな話は全然分からなかったし、ちょっとしたことで、仕事を休む人とか、それこそ、「気合が足りないんだろうなぁ」と心のどこかでは本気で考えていたと思う。
でも、こんな経験ないですか??うちの父親みたいな根性論を言う人が、言った次の日インフルエンザで仕事を休むとか(笑)そればかりは「あ~かわりいもんだw」と思ったもの。
でも、痛さなんてものは、理解しがたい。
私は昨日、仕事が終わり、3歳の娘を迎えに行くあたりで頭痛が始まった。生唾が出てきて、意識はフワフワとし、視界が欠けて、気持ちが悪くなって吐き気がしてきた。ヤバいと思った。これで、ろれつが回らなくなったり、まっすぐ歩けなかったり、手足の感覚がなくなってきたらヤバイ、それだけは止めてくれ、そうなる前に、夫に連絡だけはしようと、不安ながらも、どこか落ち着いて連絡していた。
例えば、こう書いたとしても、相手の痛みなんぞ、到底理解できない。自分に当てはめて、自分の経験の中で感じた痛みのスケールでしかその痛みを変換することは出来ない。ここに、じぶん と 他 という境界線が明らかに存在している。いつも、本来人は孤独でもある、ということと同じ。
でも、私は昨日、夫に痛みを伝え、辛さを伝えられただけで、「孤独感」からは解放されていた。孤独であることには変わりはないけど、孤独と感じることからは解放されていたのだと思う。(あ、今日の名言は、、ここだw)
ここにあなたが居ないことが寂しいのじゃなく
あなたが居ないと思うことが寂しい
大事MANブラザーズバンドの『それが大事』に出てくる歌詞。
これと同じや。