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「ドン・キホーテ」ミゲル・デ・セルバンテス作

1*ページなどの長さ 
 D(1200-)
2*体感的長さ
  B(ページの長さと同程度)
3*文章力(訳者の力に左右される)
 A
4*ストーリーの刺激
 B
5*感銘度
 C

*あらすじ
騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士(武士階級でありながら農業に従事する者)が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語である。

前編
:ラ・マンチャ地方のとある村に貧しい暮らしの郷士が住んでいた。この郷士は騎士道小説が大好きで、村の司祭と床屋を相手に騎士道物語の話ばかりしていた。やがて彼の騎士道熱は、本を買うために田畑を売り払うほどになり、昼夜を問わず騎士道小説ばかり読んだあげくに正気を失ってしまう。狂気にとらわれた彼は、みずからが遍歴の騎士となって世の中の不正を正す旅に出るべきだと考え、そのための準備を始めた。古い鎧を引っぱり出して磨き上げ、所有していた痩せた老馬をロシナンテと名付け、自らもドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗ることにする。最後に彼は、騎士である以上思い姫が必要だと考え、エル・トボーソに住むアルドンサ・ロレンソという田舎娘を貴婦人ドゥルシネーア・デル・トボーソとして思い慕うことに決め、世の不正を正す遍歴の旅に出るのであった。

後編
:遍歴の旅から戻ったドン・キホーテはしばらくラ・マンチャで静養していた。その間目立った奇行も見られなかったのだが、一月ほど後に司祭と床屋が訪れると、やはり狂気は治癒していないことが判明した。そんな中、ドン・キホーテの家にサンソン・カラスコという学士が訪れる。カラスコが言うには、ドン・キホーテの伝記が出版され(すなわち『ドン・キホーテ 前編』)、広く世の中に出回っているのだという。ドン・キホーテ主従とカラスコは、伝記に書かれた冒険について、また記述の矛盾についてひとしきり語り合うのだった。

やがてドン・キホーテとサンチョは三度目の旅立ちの用意をかため、出発する。ドン・キホーテの姪や家政婦は引き止めようとするが、カラスコはむしろ彼の出発を祝福して送り出した。

感想

 私はまず、この本を手に取る皆様、興味をお持ちの皆様にこの本を「畏まった崇高な文学である」と思わないで欲しいと思う。確かにこの作品によって、小説が初まったと言われるほど長い年月をかけ数多くの人間を魅了し、日本では小売店の名前にもなった。しかしそれでも、畏まらず自分の感性に従って皆それぞれ味わってもらいたい。

 私は文学を読み始めたころ、色々なサイトを飛び回って初心者でも読みやすい本を探した。誰もが一度は聞いたことのあるタイトルが並ぶ中、なにを血迷ったのか私は「ドン・キホーテ」に目を奪われた。数々の名作が並ぶ中、この本紹介に「腹を抱えて笑える」「初心者でも読める」
「冒険小説が好きな人にオススメ」と当時の私は、これだ!と思ったのである。私は心躍る気持ちで新宿の紀伊国屋書店へと向かった。
書店に着き本を見た書簡は、「長い」この一言に尽きる。前編三冊、後編三冊合わせて六冊一冊400ページ全部で2400ページも有る。私はそこで、一度怯んだ。が、ここまできて引き下がれないと思い、六冊纏めて買ったのである。

家に着き早速私は読み始めた。最初、著者が自分の関係ある人自分より立場の上の方々へ感謝の念を長々と語り始める。これが最初の難関であった。続いて、物語を読み始めあらすじ通りに話が展開されていく、ここまでは私も話について行くことができた。しかし、話が進むにつれ、風車に向かってロバで突撃したり、人に絡んで、戦いを挑みボコボコにされたり、読めば読むほど辛くなってくる。そして私は、本を閉じ一週間封印した。

一週間が経ち、私は母に買ってもらった本を9割読まずに置いていることに罪悪感を覚え始めた。本を開き苦行に耐えながら一月かけて前編を読み終えた。すると少しずつドンキホーテに私が慣れ始め、面白いと思い始めたのだ。
そう、私は気づいたのだ、この本は厨二病の老いぼれ老人がハメを外し過ぎる話だと。そう考えると読みやすい、難しいことなどないのだ私が感じていた苦痛は、共感性周知誰もが一度は通った厨二病という道に恥じらいを抑えられなかっただけなのだ。

結果から言うと、途中恋物語や冒険譚、喜劇に悲劇そのどれもが面白い。ただ、畏まって読まないで欲しい、もっと楽に日にちを分けて一つ一つ物語を味わい自分なりに解釈をして欲しい。その方が、セルバンテスだって嬉しいはずだ。


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