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わたしの人生はつづく

わたしは、生活がすきだ。

一人でいる時、最も心が落ち着くすごし方は
平日のお休みにラジオを聴きながら
家事をすることだ。

ほのぼのと、コーヒーでも飲みながら
掃除に洗濯、忙しさの中で散らかした部屋を
整えていくのが心地良い。

本はエッセイがすきだ。
他人の現実を覗き見しているようなドラマもすきだ。
芸能人の人となりに触れるようなインタビューもすきだ。
SNSで知らない誰かの部屋を見るのがすきだ。
ラジオがすきだ。

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社会人2年目のわたしだが、ここ数年、
「クリエイティブな人間」に憧れている。

たくさん映画を観る人や、
小説をたくさん読んでいる人、
趣味は音楽ですと答える人は、
広い世界を知っている気がしたし、
その人だけの特別で素敵な人生を
生きているように見えたのだ。

特にドラマや映画、小説、音楽など、
創作を生業にして生きている人たちはかっこいい。

作品を生み出すエネルギーで魂を燃やしている…、
例えば、寝食を忘れるほど仕事に没頭したり、
お風呂に入らず仕事場に寝泊りするような日々が続いたりして。

大学でたまたま周りにそういう仕事をしていた人や、
文化的な趣味を持つ友人が何人も出会ったのが
きっかけだったのだろう。

こんなことがあった。

4.5年前、大学2年生の頃だろうか。
大人も学生も合わせた数人でご飯にいったが、
映画好きな人たちの中でとひとり、
当時あまり映画を観ないのはわたしだけだった。

映画業界で長く仕事をしてきた人もいて、
みんながしている話が楽しそうで、
物知りでかっこよく見えて。

好きなものがあるっていいなあ、
映画ってそんな面白いのか。

そんな軽い気持ちで
「映画、何から観たらいいですか?」と聞いた。

でも返ってきた答えは、
「映画を観ている人が教養深くて素敵だとか、
そう思って聞いてんじゃないでしょーね。
映画はね、現実が面白くない人が観るもの。
あなたには必要ない。」
というものだった。

図星だから何も返せない。
恥ずかしいし、情けない。
自分は楽しめないってこと?と
悔しい気持ちもあった。

だって、そういうのに詳しいのって
なんかかっこいいし、
そこまで夢中になれるなんて羨ましいじゃん。

そして、そうじゃない自分は
『劣っている人間』なんだと決めつけてしまった。
(その時話してた人たちが
すごく素敵な人たちだからだろうけど。)

いいよね、好きなことにたまたま出会えた人は。
ずるいよ。なんて思っていた頃もあった。

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星野源さんの「そして生活はつづく」を読んだ。

源さんはその本の中で、お母さんから
「あんた、生活嫌いだからね」と言われたと話す。

読む限り源さんは、
そんな自分に劣等感を抱いているし、
だからこそ、なんとかして楽しみたいと思い、
『生活』をテーマにしたのだそうだ。

もう10年も前の作品だけれど、
このエッセイの中で源さんは、
現実から逃避したいために、
ずっと創作活動をしていたいと語る。

読み進めるうちに、
わたしが以前自分に大して決めつけた
「普通」=「劣っている人間」というわけでも
ないみたいな気がしてきた。

生活が嫌いな人にとっては、
生活がすきな人が素敵に見えたりするのかな。

そうか、わたしは生活がすきだ。
大切にしたいんだ。
知ってたけど知らないふりしてたわ。
身を粉にして作品を生み出す人たちに
憧れているけど、なりたいわけではなかったのだ。

この本に表されているのは、
不器用で、孤独で、時に滑稽にも思える、
そんな日々だ。

創作を生業とする源さんが、
一生懸命に「生活」と向き合っている姿。

生活を楽しんでやろう、
もっとすきになってやろうとする姿勢は
生活が苦手な自身との密かな闘いと言える。

わたしがすきでやってることは、
このエッセイを書いてた頃の源さんには
なかなかうまくやれないことなのか。

ないものねだりとは良く言うけれど、
わたしの毎日は平凡で安全で、全く"普通"だけど、
素直にすきって思ってあげてもいいんじゃないか。

そんな風に思い始めた。

しかも、創作の仕事に携わってないからって
「クリエイティブな人間じゃない」と考えるのは
間違っているんじゃないか。

普通だって普通じゃなくたって、
自分にできないことがあれば悩み、
闘っていくのだ。

生活がだいすきなわたしは、
生活に没頭してやろう。

何か、生み出せるかもしれないもんね。

2020.5.21

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