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辛い過去について書くのは「不幸自慢」?
「攻略のヒント」となることを願って書いた”辛い体験“
「悲しい経験」を書くことは、不幸自慢と捉えられることもある。……そう知ったのは、数年前。アラフォー過ぎてからのことだった。
私が辛い経験を書く理由は
1)似た辛い経験を持つ人の参考になる
2)そんな経験がない人に知ってもらう機会になる
という、「だれかの役に立つだろう」という思いだった。だれかのヒントになれば、人生の攻略のヒントになれば……と。
辛い経験を持ち、現在もまだ生きづらい人は「自分だけが」と思いがち。でも、「辛かったけれどいま元気に生きている人生の先輩」がいれば、少しは光が見えるのではないか……という思いで、私は、過去のさまざまなできごと、機能不全家庭育ち、いじめ体験、結婚や離婚についてオープンにしてきた。
決して「自慢」のつもりはなかった。「がんばったよ」という気持ちはあったかもしれない。だけど「自慢」のつもりはなかった。
というか、なぜ「自慢」なんだろうか。
「さまざまな大きな課題をこなしてきた」とは思うが、それは、私が生まれる前に「大きな課題をこなすぞ」と自分で設定しただけだと思っている。
辛い人生も、楽しい人生も、
苦労の多い人生も、苦労の少ない人生も
それぞれが生まれる前に、
自分の人生のプロットを書いている。
私が思ってきたこの原則が、そもそも一般的ではないのかもしれない。
坐禅の修行に行ったことがあるが、その坐禅道場の老師の話にすごく共感したので、私はどこか生まれつき、仏教に近い考え方を持っているのかもしれない。どんな苦労も「ありのまま」に受け止めたいし、乗り越える時になにかを学ぶために経験しているのだと考えている。
だから、その人生の脚本も「自分が書いたのではないか」と仮説を立てている。
そんな大前提で生きているので、自分の苦労を乗り越えた経験を、「自慢」したいのではなく、人生というRPGゲームの「攻略のヒント」になればと、すでに乗り越えた経験を再度思い出しながら身を削ってがんばって「知らないだれか」のために書いていたつもりだった。
でも、それが「不幸自慢」になってしまうのであれば、書かない方が良さそうだ……と、この数年のSNSでは、もう書かないようにしている。
ただ、「不幸自慢に聞こえるから」と、どこにもだれにもオープンにしないで、どんどん自分を追い詰めて、孤独に苦しむ人がいるとしたら、それはちょっと違う気がする。
人は「語ること」で癒される。
カタルシスという言葉があるけれど、語ると癒えるのだ。
だから、SNSでなくてもいい。例えば、自分のブログなどで、匿名でもいいから書いて吐き出す……ということはしてみてほしい。
私は中学生のころから日記を書くことで俯瞰して乗り越えてきた。その名残がこのような記事だ。
抱え込めるだけの辛さと、抱え込めない辛さがある。もしもあなたが、まだ他人に不信感を抱いていて、あまり良い人間関係を築けていなかったり、ついうっかりだれかを傷つける言葉を言ってしまう習慣があるのだとしたら、それはまだ「癒えていない」ということ。
しっかり「癒す」ことで、その後の未来は変わる。
たしかに一部の人が言うようにSNSは「人を不愉快にしない投稿」をしたほうが好かれる。「いいね」をもらえる(笑)。
だけど、生きている限り、日々の暮らしのなかで辛いできことは必ず起こる。そして、抱えてきれないこともある。人を気遣って言わずにそれらを抱え込んでいたら、心身に不調をもたらすのは自然なことだと思う。
辛いことを辛いと言えない世の中じゃ
ポイズン!じゃないけど、極論、言いたいこと言えないSNSなら、やめてしまえばいい。SNSの使い方に不文律を持ち込む人がいるけれど、SNSをどう使おうと、本来それは自由なはずだ。
人の苦労話を、あえて積極的に知りたいわけじゃないのはわかる。だけど、そんな投稿を読んで「不幸自慢」だなんて歪んだものの見方をする人は、SNS上の『友達』ではあっても、真の友人じゃないと思う。
極論かもしれないけれど、「悲しいことも辛いことも口に出さずにがんばっている人」が好きな人が多い世の中だから、日本では「癌」の人が多いのだろうと思う。日本人は「がんばること」を自分にも相手にも求めすぎだ。
そんなの、おかしい。もっとみんなが「辛いこと」を分ち合える世の中であってもいいと思う。ねぎらい合える世の中であってもいいと思う。
例えば、どこかに投稿された苦労話が「罵倒」や「批判」に満ちていたら、そのエネルギーは読んだ人にもその人の持つ毒を撒き散らしてしまうだろうと思う。読みたくない。
でも、客観視して過去を見つめて書いた苦労話を「不幸自慢」と受け取る人がいるのなら、読み手の問題でもあると思う。読み手自身が、自分の中にある「毒」に反応しているのかもしれない。「自慢だな」と思ってしまう心理にはなんらかのその人の「未処理の感情」に作用していることが考えられる。
NHKの朝ドラ「おかえりモネ」でも、そんな話が出てきた。「辛い経験があることが羨ましい」と莉子が言って、大家の菜津(なつ)さんに「それはダメよ」と諭される回があったけれど、「不幸自慢」と捉える人の心境って、おそらくそういうことなのだろうと思う。
「自慢」と感じるのは、内心は「羨ましい」から。かもしれない。
だとしたら、これも嫉妬。嫉妬という感情は本当に面倒なので、やはり控えたほうがよいのだろうな……というところに落ち着き、私もFacebookで書くのは辞めた。
だけど、「辛い経験」をしてきた仲間たちに、一度伝えておきたい。
辛い経験が多いのは、それだけの魂年齢(たましいねんれい)が高いからだと個人的には思うのです。
人より辛い経験が多いと感じているのなら、「それだけ生まれ変わった回数が多い、古い魂なのだな」と捉えることができる(輪廻転生を原則とすれば)。
自分が自分の人生を受け止められるような「仮定」を設定して、自分の人生を肯定的に捉え直して受け入れることで、残りの人生、もっと楽しく捉えていきませんか?
私は、少なくとも小さいころから「今生のプロット」がある程度わかっていたし、輪廻転生していることを子どものころから誰からも教えられていないのに知っていた。大人になって取材した特殊なスペックを持つ方にも「あなたは古い魂」と言われて非常に納得した。
生きづらい人は「そんな考え方もあるんだな」と少し受け入れてみてもらえたらうれしいです。きっと、あなたも「上級者向けの課題」を解く人生なのだろうと思います。
「古い魂」にしか見えない景色があると思います。
交流の場(?)であるFacebookでは楽しい投稿をしつつ、noteでは、こんな話をこれからも書いていきたいと思います。私はずっと、生きづらさを抱えるマイノリティの方の味方であり続けたいと思うのです。