「また選ばれなかった」と傷ついている女性がやった方がいいこと
2年前、とあるイベントに参加したときのこと。
そのイベントの常連と思しきBさん(女性)が、私と私の隣にいたCさん(男性)に「facebookしてたら繋がってください」と言った。3人で繋がった。
まず、Bさん(女)とCさん(男)が交換、そして、たまたま、Cさん(男)と私がfacebook情報を交換してるときに、イベントの主催者であるAさん(女)がやってきた。Aさん(女)は、BさんCさんと旧知の仲らしい。
「え、私、Cさん(男)のfacebook知らんし、友達申請されたことないし!」と、不機嫌な顔に。
私は、そのAさん(女)にもfacebookの申請をしたが放置されてしまった。
発端は人懐っこいBさん(女)。私から男性にグイグイ行ったわけではない。もちろん、男性側が積極的に私に友だち申請したわけでもない。
たまたまAさんが見たタイミングで、新参者の私と、男性がFacebookで繋がった。
「たまたま」ってことは、結構ある。
人は意外に自らの先入観で決めつけて怒っているのだ。
おそらく彼女は、これまでにも男性との関係がうまくいかない体験をしたことが何度かあるのだろう。その結果、「私は、どうせ、選ばれない女性だ」と思い込んでしまう。
「被害者意識」、つまり「被害者」というペルソナをつけたまま外せなくなってしまっているのだ。本当はそうじゃない「たまたま」かもしれないのに。
これって、非常にもったいないと思いませんか?
かつて私も「選ばれない方の人」だった
私は、愛着障害だ。いわゆるアダルトチルドレンという自覚がある。
私の父は、いつも姉ばかりかわいがった。
喧嘩をしても、事の発端の現場を見てもいないのに、理由も聞かずに私だけを叱る。海で泳ぐときも、最年少の私を放置して姉と泳ぐ。
気のせいじゃないの?と言われることがあるが、私は、明確に父に嫌われていた。家族も親族も知ってるぐらい、私は父に好かれていなかったのだ。
私の母も、いつも姉ばかり褒めていた。
「お姉ちゃんはすぐに『ごめんなさい』と言って、次からは二度としないのに、あなたはなぜ同じことをやるの?」
「あなたさえ、感情を出さなければ、この家は平和なのに」
と、泣くことも怒ることも禁止されていた。泣いてる理由も怒っている理由も聞かずに、いつも感情を出すなと言われる。
3歳の私への交換日記にも「おこってはいけません」と書いてある。
泣いたら怒られる。
怒っても怒られる。
モグラ叩きのように、噴き出る感情を次々に上から叩かれた。
その理不尽さに、私はずっと怒りを溜め込んで生きてきた。
母は、ほぼ全ての人間の悪口を言う人だった。自分の親や兄弟姉妹、自分の配偶者である父、そして、友人と呼んでいるすべての人のことを悪く言う。唯一、姉のことだけは少し困ったことがあると言うだけ。ずっと褒めていた。自分の娘として誇らしいのだと。
私は、「選ばれない人間」を家庭内で、たっぷり体験している。さらに、学校や保育士の職場でも、いじめ被害を経験している。集団無視はもちろん、靴や鞄を隠されたり泥だらけにされたり、話しかけても無視されたり、裏切られたり、嘘の噂を流されて加害者に仕立て上げられたり。
「選ばれないこと」への悲しさはたくさん経験済みだ。
だからこそ伝えたい。私たちは、いつでも「選ばれる側」に、立ち位置を変えることができる。
では、なぜ、安易にはそれができないのか。おそらくみんな「怒り足りていないから」ではないかと私は思う。
「怒り」は「悲しみ」の二次感情と言われる。ちょこちょこっと出しても出しても出し切れないほどの「悲しみ」を抱えたままだから、不完全燃焼のまま悲しみ続け、「怒れる人」であり続けているのだ。
「なにに怒っているのか」を知る
ちゃんと「怒り」や「悲しみ」を表現したり、「悲しかった自分」に声をかけてあげたり、自分を抱きしめてくれる存在を見つけたりしないと、人は、いつまでも「なにかに怒り続けている人」であり続けてしまう。
そうすると、人は寄り付かない。さらに「選ばれない人」の立ち位置に、居続けることになる。
怒っている人は、孤独になりやすい。
特に、男は「怒っている女」が苦手だ。パートナーが欲しい人は、なおさら、さっさと、怒りの処理をした方がいい。
怒りをぶつける相手は、今、身近にいる人でもなければ、恋人や友だちでもない。多くの人は、私のように根源は「親」にあると思う。
しっかり内省していくと、たどり着ける。
自分の「怒りのマグマの根源」はどこにあるのか。
わかったところで、それを親にぶつけることが最善かというと、それは残念ながら、そうでもない。
愛着障害の連鎖は、親も、その親から受け取っているから。
私の母は「私がただ感じたことを伝えた」だけでも過呼吸になったり、突然、走っている車の助手席から降りようとしたりした。親が抱え切れないものを持っているのだから、溢れそうなコップに水を注いでも親は逃げるだけだ。もしくは、さらに怒り返されるだけだ。
それに、親がすでに亡くなっているなど、会えない場合もある。つまり、抱えてきた感情を、親にぶつけることも難しいのだ。
「怒り」や「悲しみ」はコントロールするのではなく「出す」ことが重要
では、この感情をどうすればいいのか。
1)まずは言葉で出す
2)次にエネルギーとして外に出す
3)小さな自分に「がんばってきたね」と声をかける
この流れが必要。
「言葉で出す」のは、人に聞いてもらうことや、日記に綴ること。エネルギーとして出すのは、「声を出すエクササイズ」や「全身運動」、そして、ボディワークやエネルギーワーク。最後に、インナーチャイルドに向けてのワーク。
それぞれ、やり方があるのと、「怒り」と向き合い過ぎると、ネガティブ感情ががんじがらめになって、ネガティブなものを引き寄せるなど、むしろ心の病を引きずることになりかねないので注意が必要。
でも、文章が長くなってきたので、今回はここまでにしますね。