虐待された人が楽しい人生を生きるためにすべきこと①
多かれ少なかれ、親子の確執はあるものだと思う。そのなかで、親から意図的に傷つけられたり、意図的に言葉で退けられたり、まったく子どもの話を聞かないなどのネグレクトをされたりしてきた人たちは、特に、友人関係や男女関係を築くにあたって、ちゃんと向き合い乗り越えていきたいのが、自分の「家族関係」に由来する恨みつらみだと思う。
親にされたこと
親にしてもらえなかったこと
それを、無意識のうちに自分の大切なパートナーのなかに探してしまうからだ。
いつも「どうせいつか嫌われるのではないか」「この人は自分を見下しているのではないか」という危険察知にばかりアンテナを張り、小動物のように怯えてしまい、その怯えを隠すためにマウントしたり批判的に振る舞ってしまう。
もしも、そういう自分が潜んでいることに気づいているのなら、それは、あなた自身のせいではない。肉体が記憶しているから仕方ないのだ。
いわゆる愛着障害ともいわれる「発達性トラウマ」に関する書籍『その生きづらさ、発達トラウマのせい?』のなかで、ポリヴェーガル理論に詳しい著者・花丘ちぐさ先生が下記のように記している。
ポージェス博士は、私たちはつねに周囲の状況が安全か否かを感じ取り、判断していると論じています。博士はこの仕組みを、nero(神経の)+ception(受容)で、ニューロセプションと名付けました。
(中略)
ニューロセプションの発達の仕方は、その人の健康状態をはじめ、今までどのような人生を歩んできたかによっても、大きく異なります。
(中略)
いっぽう、子どもの頃に、親の気分がいつ変わるのか予測できず、顔色を見ながらビクビクしていた人は、ニューロセプションが円満に発達しておらず、つねに危険信号ばかりを探すようになる傾向があります。そして、ちょっとした刺激にも過敏に反応し、人の悪いところを探して、きっとトラブルになるに違いないと過剰に用心したり、逆に、どんな人にも無分別になついてしまい、親しくなってはいけないような人に深入りして、トラブルになったりする可能性もあります。
(『その生きづらさ、発達トラウマのせい?』花丘ちぐさ著 P.74〜75)
私の場合、後者の「逆に、どんな人にも無分別になついてしまい、親しくなってはいけないような人に深入りして、トラブルになったりする可能性もあります」のタイプ。その結果、元ヤンの前夫と結婚した。自らトラブルメーカーな男に近づいてしまうタイプだったのだ。
「親から愛された感」がない人は
「危険信号」を探し続ける
育ってきた家庭でいわゆる「不適切養育」を受けた場合、発達性トラウマを抱えることになる。
あきらかな虐待や機能不全家庭という明確なマイナス環境だけではなく、ごく一般的な家庭でも、その両親のどちらかが発達性トラウマを抱えている場合に、親は意図せず「不適切養育」を子に与えてしまっている。
不適切養育とは、例えば、前出の書籍には、以下のような事例が書かれている。
・思いやりのない言葉かけをする
・子どもに手をあげる
・タイミングよくニーズを満たさない
・子どもの友人関係に介入しすぎる
・子どもの好みや服装に介入しすぎる
・過干渉で子離れできない
・否定的な言動が多い
・抑うつ的で子どものニーズに応えない
・過度の心配性
・必要なケアをしない
・無理にがんばらせる
・子どもに大人の愚痴を聞かせる
・勉強を強要する、脅す
・きょうだいを比較する
・子どもに夢を託して過度のトレーニングを強いる
・成績で判断し人をランク付けする
・倹約の度がすぎる
・子どもの夢を否定する
・子どもに嫉妬する
・子どもの性的な成長を喜ばない
・不適切に性的な情報に触れさせる
・子どもに性的な関心を持ち言動に表す
・きょうだい間の性的な加害行為に介入しない
・きょうだい間の加害行為に介入しない
思い返せば、私の母についていえば、上記の太字にしているものはすべて身に覚えがある。服装だけではなく、テレビ番組、食事の味など、すべて母の好みを押しつけられて育った。着たい服を買ってもらったのは中学1年になった時の「オーバーオール」が初めてだった。
姉びいきで「おねえちゃんは◯◯できるのに」「おねえちゃんは◯◯しなかったのに」とよく言われた。母が一生、愚痴を言ったことがないのは私の姉のことだけ。それ以外、配偶者である父、自分の両親、姉、妹、弟と、その配偶者はもちろん、姪や甥を含むすべての親族の陰口を言う人だった。友人もどの人なら満足なんだ?というぐらい、すべての友人を愚痴っていた。女として私に嫉妬していた可能性に気づいたのは、大人になってからのことだ。
母自身が「発達性トラウマ」で、その前に祖母が「発達性トラウマ」である。そして、父も「発達性トラウマ」で、祖父母のことが大嫌いな人だった。だが、父はどちらかというとネグレクト。突然切れることがあったが、その時はいつも私にその刃を向けられた。
まずボス的存在である母が私に対して「あなたがいるからこの家庭の空気が悪くなる」と日常的に言っていた。父は普段家にいないが、そういう母のセリフを聞いているので、私を問題児として捉えている。父は母に頭が上がらないところがあるもので、母に追従するように父が私に対して乱暴な対応になっていく。ある事件以降、その回数は増える。母はそこに気づこうともせず、私に切れる父を責め、母は「自分は平等に愛している」と譲らなかった。決して、自分の非を認めないタイプだった。
両親ともが、まさに「発達トラウマ」であり、「常に警戒している状態」の人で、いつも他人をジャッジし、批判し、貶しながら、なんとか自分を律しているぐらぐらと不安定な夫婦だった。
ゆえに、私も、いつどうジャッジされるかわからず、常に怯えていた。そのため、私は子どものころからすぐに体調を崩す子だった。今でいう「自律神経失調症」なのだが、当時は「自家中毒」などと云われていた。しかし、それさえ、母はいつも「気の持ちようです」「あなたは弱いわけではない」と言っていた。私が倒れる度に「あなたが悪い」と云わんばかりに責められた。
今思うと、母にとっては「こんなに一生懸命子育てしているのに、病気になるなんて、まるで私が悪い母親みたいじゃないの!」と腹が立ったのだろうと思う。
母の思考回路は丸見えだ。本人は認めないけれど。
・自分と同じ考えでなければ怒る
・言うことを聞かないと怒る
そんな母だったので、私は「共感しないとダメ」という女子が大嫌いだった。
母はすぐにいつも「話し合いましょう」というが、話し合いではなく、いつも、「私の考えにイエスと言いなさい」が目的だった。話し合ったとしても、母が自分の考えを譲ることは一切なかった。
そんな親との関係は、結婚や恋愛にも響く。いまの夫との関係のなかで最終的に精算できたのだけれど、そんな両親との関係を、私は何十年と引きずっていたことになる。そのために、たくさんもったいないことをしていたと思う。
(『虐待された人が楽しい人生を生きるためにすべきこと②』につづく)
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