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16歳になった私へ__人生はクソゲーかもしれないけど、味方がいた
自分へ。
16歳、おめでとう。まあ、自分におめでとうって言っても「何がめでたいんだよ」って思うが、とりあえず言っておく。
ここまで生きた。それだけで、まずは一つの成果だと思う。たぶん「よく生きてきたね」って言ってくれる人もいるだろうし、「16なんてまだガキじゃん」と鼻で笑うやつもいるだろう。でも、私にとっての15年間は、ただの通過点じゃなくて、それなりに意味のあるものだった。
生きるって、思ってたより難しい。呼吸して、食べて、寝るだけのはずなのに、気づけば心のどこかがいつも痛くて、過去に縛られたまま動けなくなることがあった。ずっと前の出来事なのに、今でもふとした瞬間にぶり返して、心の中にじわりと広がっていく。そのたびに「こんなことで落ち込むなんて、私って弱いな」って思う。でも、本当に弱いのは私じゃなくて、そんなことを思わなきゃいけない社会のほうなのかもしれない。
「優しくなれなかった私」
15年間生きてきて、一番悔しかったことは、自分が優しくなれなかったことだ。
人に優しくしようとすると、心のどこかで「お前なんかにそんな資格あるのか?」って声が聞こえてきた。自分のことすらうまく扱えないのに、誰かを助けられるわけがない。そう思って、結局他人に冷たくしてしまったり、距離を取ったりして、あとから自己嫌悪に陥る。
誰かに「大丈夫?」って言われても、素直に「大丈夫じゃない」って言えなくて、「うん、大丈夫」って笑って返してしまう。本当は大丈夫じゃないのに。そういう小さな嘘を積み重ねるたびに、どんどん自分が本当の自分から遠ざかっていく気がして、苦しくなった。
「感情を整理できない自分が嫌だった。」
悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか、何に対して泣いているのかすら分からなくなる夜があった。自分の心がまるで迷路みたいで、どこをどう進めばゴールにたどり着けるのか分からなかった。
でも、その迷路の途中で、私は一つの光を見つけた。
「ネットの向こうにいた味方たち」
リアルの世界ではどうしても言えなかったことが、ネットだとすんなり吐き出せた。名前も顔も知らない相手だからこそ、遠慮なく自分の本音を話せることがあった。「こんなこと言ったら引かれるかな?」っていう不安も、ネットの海の中ではちっぽけに思えた。
たとえ私の言葉がうまく伝わらなくても、「分かるよ」「貴方のペースでいいんだよ」って言ってくれる人がいた。そういう言葉が、どれほど心を救ってくれたか。きっと言った本人たちは気づいていないと思うけど、私は何度もその言葉に支えられてきた。
ネットには冷たい人もいるし、時には傷つく言葉を投げつけてくる人もいる。でも、それ以上に、温かい人もいた。リアルでどれだけ孤独を感じても、ここには自分を理解してくれる人がいる。そう思えるだけで、私は少しだけ強くなれた。
「16歳の私へ」
16歳になったからって、劇的に何かが変わるわけじゃない。突然悩みが消えるわけでもないし、過去の記憶がリセットされるわけでもない。たぶんこれからも悩むし、落ち込むし、泣くこともある。
でも、それでもいいのかもしれない。
私はもう知っている。この世界には、私が何も言わなくても「お前のことが好きだよ」って言ってくれる人がいることを。たとえ今はまだ、自分で自分を好きになれなくても、誰かが「好き」と言ってくれる限り、私はまだここにいてもいいのかもしれない。
16歳の私へ。
大人になるって何なのか、まだ分からない。強くなるってどういうことかも分からない。でも、生きるって案外、そういう「分からない」の積み重ねなのかもしれない。
だから、もう少しだけ、このゲームを続けてみよう。
人生はクソゲーかもしれない。でも、意外とまだ、バグ技は残されているかもしれない。
誕生日おめでとう、16歳の私。これからも適当にやっていこう。