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首を吊るという行為は、まるで最後の扉を開けるための儀式のように思える。自分の命を自らの手で終わらせる、その一瞬の決断が、こんなにも冷静で、そしてどこか夢の中にいるような感覚を伴うものだとは、最初は想像もしていなかった。部屋の天井にぶら下がるロープが、静かにわたしを待っている。何度も考えた、何度も準備をした、その最後の瞬間が、こんなにも簡単に訪れてしまうことが怖かった。

けれど、その恐怖よりも、もっと強いものがわたしを動かしていた。何も感じない日々、虚無に押しつぶされそうな日々、そのすべてから解放されたいという思いが、わたしの足を一歩ずつロープの方へ向かわせた。首を吊るという行為が、何もかもを終わらせてくれる、そう信じていた。これ以上、自分の存在に意味を見出せない、誰かに愛されることも、自分を愛することもできないわたしにとって、それは唯一の救いだった。

ロープに首を通し、最後の一歩を踏み出すその瞬間、何も感じなかった。何か大きな感情が襲ってくるわけでもなく、ただ淡々と終わりが近づいてくるのを待つだけだった。苦しさがじわじわと喉元に迫る感覚、身体が引き締まっていく圧迫感、それでも頭の中は不思議なほど静かで、まるで自分自身が他人のようだった。生きたいという思いがあるわけでもない、ただ早く終わってしまえ、そう願っていた。

でも、その最後の瞬間が訪れなかった。身体はどうしても最後の一歩を踏み切れないまま、足が地面に触れたまま、わたしはただ揺れていた。死ぬことすらできない自分に、深い絶望が押し寄せてきた。ああ、結局、わたしは死ぬことすらできないのかと、わたし自身に失望した。死にたいのに、死ぬことさえできない。生きたくないのに、どうしても生きてしまう身体に、嫌悪感と虚しさが交差していった。

首吊りは、すべてが終わるはずだった。そのはずなのに、何も終わらなかった。ただ、痛みが増えただけだ。心も身体も、何もかもが傷ついて、壊れていく感覚があるのに、どうしても死にきれない。それが、こんなにも苦しいとは思わなかった。死ぬという選択肢が、こんなにも遠いものだとは思わなかった。首を吊るという行為の中で、わたしは再び自分の無力さを思い知らされるだけだった。

自殺未遂という言葉の重さを、わたしはこの時初めて理解したのかもしれない。死にきれなかったという現実が、わたしをさらに追い詰める。生きる理由も見つからない、死ぬことすらできない、そんな中途半端な状態に置かれたわたしは、ただどこにも行き場のない感情に押しつぶされていく。首を吊った瞬間に、すべてが終わると思っていたのに、その終わりはまだ訪れない。

わたしは、まだここにいる。死ぬこともできないまま、この空間に取り残されてしまった。首吊りの跡が残る喉元をそっと触れながら、わたしは自分の存在の意味をもう一度考え直さなければならなかった。それがどれほど苦しいことか、どれほど虚しいことか、それでもこの身体はまだ生き続けてしまう。死にたかったのに、わたしはまだここにいる。

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