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能『山姥』の思想

 

はじめに 五番目物『山姥』の粗筋


 世阿弥の作とされる五番目物『山姥』は山姥とその山廻りに託し仏教、禅の思想を語らせた壮大な能である。粗筋は次の通り。

 都にて山姥の山廻りの曲舞(室町時代に盛行した芸能で、舞を伴う謡[1])で人気を博し庶民から百魔[2]山姥と呼ばれる遊女(=ツレ)がいた。ある時、信濃善光寺への参拝を思い立ち従者(=ワキ)、供人(=ワキヅレ)と都を発した。
 一行は越中と越後の間を流れる境河に到着し里人に寺への道を尋ねる。遊女は旅を修行と思い、険しいながらも如来の踏み分けた道との伝承がある上路越を敢えて行く事にした。その道を進み始めた時、まだ暮れる筈のない日が暮れる。困惑していると忽然と女が現れ、今宵の宿を提供しましょう、と申し出る。その代わりに山姥の曲舞を所望した。遊女は尋常ではなく山姥を知る女を訝しみ、ここに本物の山姥が来たのですか、と尋ねたところ、実は自分こそが山姥である、と打ち明けた。遊女は自分らの身を案じ、曲舞を披露しようとする。しかし山姥はそれを止め、月夜に謡って下さるならば本当の姿をお見せしましょう、と言い残し消えていった。
 風の吹く夜、鬼の姿で現れた女は自身の来歴と苦しみを語り、舞を披露する。やがて山から山へ廻巡って、そのままどこかへいってしまった。

謡曲『山姥』における山姥

 そもそも山姥とは一体何であろうか。まずこの曲における山姥は、語られている通り「山に住む鬼女」であり雲の様に自在に身を変える事から分かる通り「人間にあら」ざる存在だ。
 この曲において山姥の視点は自然環境に多く注がれている[3]
 山から山へ廻り、そこから決して離れぬ山姥は自然その物と一致していると言えるだろう。 

『山姥』の魅力

 物語の筋としては一行が山姥に恐怖する前半、山姥が自身の苦悩を語る後半、とシンプルだ。
 演出的な側面として中入り直後に繰り広げられる間狂言はその挿入するタイミングが特筆すべき物であると思う。間狂言の軽みは、後場、つまり山姥の山廻りする〝物凄〟さがそのコントラストによって最大限に引き出されている。
 この曲最大の魅力は後場で山姥が自身の苦悩を壮大な言辞と舞とで明かす所にある。 
 東洋的時間感覚は円環である。その時間感覚は仏教の「輪廻転生」思想によって支えられている。
 仏教において輪廻は因果律によって支配されており、前世が原因としてその後の転生後が結果として表されている。つまり前世の因縁が現生に及ぶわけだ。「山姥」の謡にも「寒林に骨を打つ[4]。霊鬼泣く泣く前世の業を恨む」とある様に。
 仏教は涅槃[5]の境地に至る事を重要視する。その境地こそ「悟り[6]」である。我々は迷い[7]があるからこの輪廻から解脱する事ができない。
 九鬼周造は輪廻的時間からの解脱について「時間の観念と東洋における時間の反復」にて次の様に述べている。

 問題になる時間は、それがもとで「四つの大海の水より多量の涙を流した」ところの輪廻の時間である。この時間を解脱しなければならない。ところで、仏教的厭世観は、意思の中にすべての悪、すべての苦悩の原因を見る。「解放」される(être délivré)のためには、ただひたすら意思を否定しなければならない。「寂滅は至福である」(anéantissement est béatitude)。この寂滅は涅槃(nirvāna)と呼ばれているもので、「消滅」(extinction)、「世界の破滅」l(la suppression du monde)、世界を孕む意思の否定である。〔中略〕意思(volonté)という言葉の代わりに欲望(désir)という言葉の使用を提示することもできるだろう。

 ところで世阿弥の生きた室町時代は夢窓国師の『夢中問答集』や五山文学に代表される様に禅宗が隆盛を極めていた。彼も又『九位』という全思想から多大なる影響を受けた芸術論を書いている。
 禅は一つの物に執着する事をよしとしない。禅宗を代表する臨済宗の開祖・臨済へ強い影響を及ぼした馬祖禅師の下で悟った大珠慧海禅師の説法集『頓悟要門』には次の様な問答がある。

 如何得大涅槃。師曰、不造生死業。對曰、如何是生死業。師曰、求大涅槃、是生死業(如何が大涅槃を得む。師曰はく、生死の業を造らざれ。對へて曰く、如何なるか是れ生死の業。師曰く、大涅槃を求むる、是れ生死の業なり[8]

 涅槃に執着する事も又、解脱から遠のくだけなのだ。

 さて「山姥」に戻ろう。
 そもそも山姥は人間ではない。山姥が遊女の前に姿を現したその理由は本人が語っている通り「年頃色には出させ給ふ、言の葉草の露ほども、御心にはかけ給はぬ」からであり、舞を聴き見れば輪廻から解脱出来ると、そう思ったからである。 
 そして、山姥は普段人から見えるゆえに人々を助けている[9]のにも関わらず、ただ恐怖の対象としての鬼としてしか語られない。
 誰かに知られたい、誰かに見られたい、というのが山姥の本心であった。そして山姥の噂を舞にこしらえたものを巧みにする遊女こそ、自分を助けてくれる、とそ信じた。しかし、いざそれを前にしても欲望は収まらない。その欲望への執着から去らなければならないのを本人とても理解してい[10]からこそ尚、悲痛である。
 山姥は自身の妄執を絶てず四季が巡る[11]様に、山を廻り続ける様に、再び見えぬ存在となって輪廻転生を繰り返し続けるのであった。

 世阿弥は自然と一体化した「山姥」という人ならざる者を主人公に取り輪廻と業の立ち難さを、物語と舞によって表現した。壮大且つ深淵な仏教、禅思想をかくの如く舞台芸術として完成させた「山姥」を芸能史史上特筆すべき作と断じるのに何らの躊躇もない。

(了)



[1] 国史大辞典『曲舞』

[2] 観阿弥の「嵯峨物狂」を世阿弥が改作した「百萬」という狂女物も存在する。

[3] 例えば「万箇目前の境界、懸河渺々として、巌峨々たり」とか「殊にわが住む山家の景色、山高ふして海近く、谷深くして水遠し 前には海水瀼々として、月信女の光を掲げ、後には嶺松巍々として、風常楽の夢を破る」等々。

[4] 新潮日本古典集成の注釈には「前世の悪業により鬼となってわれとわが死屍を鞭打ち、前世の善行により天人となってわが死屍に散花するという説話」とあり『謡曲大観』には「死人の霊魂が林野に帰り、現生で仏戒を破って悪道に堕ちた者はその死屍を鞭ち仏戒を保って天人となった者はその白骨に礼拝したとあるをいう」とある。

[5] 「すべての煩悩の火がふきけされて、悟りの智慧を完成した境地。迷いや悩みを離れた安らぎの境地。また、その境地に達すること。解脱。」『日本国語大辞典』

[6] そもそも「仏陀(buddha)」は「悟れる者」を意味している。

[7] 仏教においては迷いを「煩悩」と呼ぶ。

[8] 書き下しは岩波文庫『頓悟要門』(宇井伯寿訳)に拠る。

[9] 「さて人間に遊ぶこと ある時は山賎の 樵路に通ふ花の蔭 休む重荷に肩を貸し 月もろともに山を出で 里まで送る折もあり またある時は織姫の 五百機立つる窓に入つて 枝の鶯糸繰り 紡績の宿に身を置き 人を助くる業をのみ」 

[10] 「都に帰りて 世語にさせ給へと 思ふはなをも妄執か ただうち捨てよ何事も よしあし引きの山姥が 山廻りするぞ苦しき」

[11] 「春は梢に 咲くかと待ちし 花を尋ねて 山廻り 秋はさやけき 影を尋ねて 月見る方にと 山廻り 冬は冴え行く 時雨の雲の 雲を誘ひて 山廻り」

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薄荷
是非、ご支援のほどよろしく👍良い記事書きます。