薄荷

都下某大學にて日本文學を學び居り候、壬午の產 〈天地間無用の人〉

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都下某大學にて日本文學を學び居り候、壬午の產 〈天地間無用の人〉

最近の記事

この世とても旅ぞかし

 諸手を懐中に入れながら歩いた。そうして初めて冬の到来を感じる。今までこの諸手の所在はどこであったのか、ふと考えざるを得なくなる。吹く風にーまだ幾分かまろやかさを残してはいるがー肩を窄めて身を守る体制に自ずからなる。  いまだ秋めいてはいた。山岳の紅葉は落ち切ってはおらず、ならばしばらくは秋の残滓をこの街でも感じられるだろう。歩んで時折目に入る樹々の葉はまだ落ちそうにない。だがそれは私の目に悲しく写った。一体何にそう感じているのだろうか、などと詩人の真似事をする我が身を嘲笑せ

    • 能『山姥』の思想

        はじめに 五番目物『山姥』の粗筋  世阿弥の作とされる五番目物『山姥』は山姥とその山廻りに託し仏教、禅の思想を語らせた壮大な能である。粗筋は次の通り。  都にて山姥の山廻りの曲舞(室町時代に盛行した芸能で、舞を伴う謡[1])で人気を博し庶民から百魔[2]山姥と呼ばれる遊女(=ツレ)がいた。ある時、信濃善光寺への参拝を思い立ち従者(=ワキ)、供人(=ワキヅレ)と都を発した。  一行は越中と越後の間を流れる境河に到着し里人に寺への道を尋ねる。遊女は旅を修行と思い、険しい

      • 能『山姥』

         人間の、その欲望から去るのが悟りの境地である事は言うまでもない。誰しも、それがなくばどれ程、生き易いか自づから心得てはいる。だが、その様にいかぬのが人間の性。古来より人々はそれを知っている。妄執とは人間に備わった誠に面倒な物だ。  世阿弥による五番目物の大曲「山姥」は、妄執に苦しめられた成れの果て、即ち「鬼女」の悲しみを描いた作である。その物語は世阿弥が、人間の繰り返される執着の円舞曲を山姥に託して描いているように思える。  粗筋は次の通り。  信濃国の善光寺へ参るべく

        • 「セックスする権利〔原題:THE RIGHT OF TO SEX〕」雑感

           行為としてのセックスは必ずしも恋愛に結びつける必要はない。恋愛感情がなくとも他者を欲望する事が出来、またその欲望を否/諾する事が出来る。結局の処、セックスはそれ以上でも以下でもない形而下的問題に他ならない。恋愛はそこに様々な企てが存在する分、複雑だ。  とはいえ、セックスは殆どの場合に於いて恋愛を含んでしまっている。だからこそその欲望のあるべき姿が見えづらい。  セックスは相手方との行為である以上、至極私的な物でありながら性的欲望以外の流入によってややもすれば危険な社会的な

          音楽の中の「武蔵野」 ―エレファントカシマシ『武蔵野』について−

           地名を歌詞に組み込む。そこには往々にして大した意味はない。殆どの場合がそうである。そこに意味があったとしても、大抵の場合は作詞者当人の個人的な思い入れであり、またそうである以上、作詞者に対して興味がなくば、特定の地名が入っていようがいまいが、魅力とは言い難いと断じてしまったとしても何も強引ではありはしまい。  だが、幸い聴き手が歌われている地名についての記憶を持ち合わせている場合。その場合は、当該の地に関する往昔の光景が甦りエモーションに繋がるのには違いはない。とはいえ、そ

          音楽の中の「武蔵野」 ―エレファントカシマシ『武蔵野』について−

          独り追善―或いは雨中の掃苔録―

           一夜を酒場で款語の内に明かし、窓外が白んだ頃、私は新宿の駅へと独り向かった。  未だ、秋の気配はあらず只歓楽に水を指すが如き湿潤とした風が摩天楼の合間を縫って吹く。過ぎ去った馬鹿騒ぎを反省ししばらくは一人でいなくてはならないと、明け方のドブ臭き匂いが鼻腔をくすぐるうちに、そう思った。徐に歩調が早まったのは孤独への希求のその証左共言うべきか。が、この時刻に始発へ急ぐ人々は多かった。内心、その様な堕落した男女を痛罵したき欲求が識閾を出でんとしては居た。だが、私とて同じ穴の狢には

          独り追善―或いは雨中の掃苔録―

          大田南畝の墓と南畝以後の家系について

          大田南畝は明和八(一七七一)年、富原理与を妻とした。翌年、女児が生まれるが夭折。その後、幸を生む。幸は後に金兵衛と結婚し富と仲、二人の子を生む。更に安永九(一七八〇)年、長男・定吉誕生。後、冬と結婚。享年四十四歳。享和元(一八〇一)年、定吉に長男・鎌太郎生る。その後、定吉と冬は富、磯、鉄次郎、合計四人の子供を育てた。鎌太郎は長男・正吉を夭折して失うと、家督を相続する直系の男児がいなかったので、親戚の雄之丞(或は、権之亟とも)が嗣いだ。雄之丞の子は堅(南洋とも)。彼は南畝の『一

          大田南畝の墓と南畝以後の家系について

          江戸期における小金井の桜樹

           小金井公園は今なお桜の開花時期になると人がこぞって集まる。私は、実のところその時期に彼の地を訪うた事がないので、それが如何程の雑踏であるのか知れない。幼少の頃から公園近くに住んでいる友人からの直話であるが特に混雑するのは道路だそうだ。東京のモータリゼーションの悪しき一面というべきであろう。  小金井の桜を見た事がない私が書き記すのも、些かおかしな話に違いはないが、それにしても彼の地のそれが近世史的に見て甚だ重要であると知っているので筆を取る興が起こったのである。  今や

          江戸期における小金井の桜樹

          荷風と公望との交わり―雨聲會を手がかりに―

           明治三十九年内閣総理大臣となった西園寺公望は幼い頃から文藝に親しみ自身でも非常に巧みな漢詩文を拵えた。そして十年近く西洋に駐在していた経験から当時の西洋文壇とも深い交わりがある。エドモン・ド・ゴンクール(Edmond de Goncourt)の日記には三度その名が登場していた。更に、フランス文学者の吉江喬松によればイワン・ツルゲーネフ(Ivan Turgenev)、エミール・ゾラ(Émile Zola)、ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert)と邂逅し

          荷風と公望との交わり―雨聲會を手がかりに―

          能『隅田川』ー物語とその背景ー

           はじめに –『隅田川(金春流は「角田川」。以下「隅田川」と表記)』の粗筋、舞台、魅力  舞台は武蔵国と下総国の間を流れる隅田川。時候は春。時は三月十五日の夕暮れから明け方。  都から知人を尋ねるべく武蔵国に達した旅人(ワキツレ)。隅田川を隔てた下総国へ渡る為、船頭(ワキ)に頼み乗船する。そこに同じく都から子を探し狂女となった女(シテ)が現れる。船頭は乗りたいのならならば面白く舞え、と要求し女は『伊勢物語』の「東下り」の段を巧みに引用しつつ自分がここへ来た訳を伝えた。船頭は

          能『隅田川』ー物語とその背景ー

          洋行と個人主義ー永井荷風の場合ー

           永井荷風は1859年、小石川にて誕生1959年、市川市にて没した。父親の永井禾原久一郎(1851-1913)は有名な漢詩人・鷲津毅堂の門下生にして後に彼の娘を妻として迎えた。又、鷲津毅堂は大沼枕山の親戚であり、永井鷲津家の事情については後年の著作『下谷叢話』に詳らかである。  荷風は初め漢詩人の息子ということもあり、又旅行で訪れた上海に甚だしい感動を覚えて中国語を学んだ。しかし、それも長くは続かなかった。 やがて彼の趣味はフランス文学に傾く。ゾラより影響を受けた『地獄の

          洋行と個人主義ー永井荷風の場合ー

          DANCE to the Future: Young NBJ GALA(於新国立劇場、11月25日)

           11月25日、26日に新国立劇場にて開催された『DANCE to the Future: Young NBJ GALA』は主に若手のダンサーを中心としたプログラムであった。  一幕ではパドドゥを四つ。二幕ではプリンシパル、ソリスト等ベテランたちの振り付け及び出演によるコンテンポラリー。三幕はナチョ・ドゥアト振り付けによる八年ぶりの再演「ドゥエンデ」である。  第一幕は若手ダンサー四組によるパドドゥである。一幕全体を通して言えることだが、若さが目立つ踊りであった。剥き出し

          DANCE to the Future: Young NBJ GALA(於新国立劇場、11月25日)

          狂言『萩大名』能『景清』(於宝生能楽堂、十一月十六日)

           二〇二三年十一月十六日、水道橋宝生能楽堂にて都民劇場古典能鑑賞会百十一回能「景清」と狂言「萩大名」が演ぜられた。  先行は狂言「萩大名」。シテ、山本東次郎。アドは山本凛太郎と山本則重である。  田舎の大名が召使の太郎冠者に連れられて萩の美しい庭園を有するある人の下へと行く。亭主は美しい庭園を見せる代わりに、来る人には必ず歌を所望することを習いとしているが、田舎の大名であるから歌の心得などはない。太郎冠者はそんな大名を慮って「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいづる」とい

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          新国立劇場『Don Quixote』千穐楽雑感

          『ドン・キホーテ』は実にオーソドックスなナンバーであり、コンクールにおいてもそのバリエーションは踊らない人はいない。  他の番組と比較して華美な『ドン・キホーテ』は、それだけあって時として煩く感じてしまう事も多々あるが、流石は吉田都が舞台芸術監督を務める国立と言わねばならない。実に繊細に纏め上げ、練りに練られた振り付けである、という印象を受けた。 舞台はほぼ定刻通りに開幕した。 プロローグ。物語の発端たるドン・キホーテが騎士道物語に魅せられてサンチョ・パンサと冒険へ繰り

          新国立劇場『Don Quixote』千穐楽雑感

          宮本浩次が森鴎外から最も影響を受けた楽曲は「歴史」ではない。

          宮本浩次が森鴎外から最も影響を受けた楽曲は「歴史」ではない。一般的に宮本浩次がエレカシで制作した楽曲の中で森鴎外の影響を色濃く受けたものは15枚目のアルバム『扉』に収録された「歴史」であると思われている。確かにこの楽曲は森鴎外の生涯と宮本浩次の人生を照らし合わせた歌だ。鴎外の信奉者たる(少なくとも楽曲を制作した時点では)宮本の敬愛が伺える。そしてそれが評価され昨日発売された齋藤孝著『齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版』にもエレファントカシマシの「歴史」の歌詞が「国語の世界

          宮本浩次が森鴎外から最も影響を受けた楽曲は「歴史」ではない。

          偶然とは如何なるものか 第四回 離説的偶然

          前回は経験界に発生する偶然性である仮説的偶然性について見てきた訳であるが今回は形而上学的偶然性たる離説的偶然の項を読み解いてゆく。前回の記事は下記のリンクより。 離説的偶然の意味離説的偶然とは全体と部分との関係である。全体は全体である以上絶対的な同一性が存する。故に必然性が伴っている。そして部分は部分である以上全体ではない故に絶対的な同一性がない。よって偶然的である。部分は部分であるから部分を包括する全体があることを予想している。今あげた部分はここの部分でもあり得る以上あそ

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