狂言『萩大名』能『景清』(於宝生能楽堂、十一月十六日)
二〇二三年十一月十六日、水道橋宝生能楽堂にて都民劇場古典能鑑賞会百十一回能「景清」と狂言「萩大名」が演ぜられた。
先行は狂言「萩大名」。シテ、山本東次郎。アドは山本凛太郎と山本則重である。
田舎の大名が召使の太郎冠者に連れられて萩の美しい庭園を有するある人の下へと行く。亭主は美しい庭園を見せる代わりに、来る人には必ず歌を所望することを習いとしているが、田舎の大名であるから歌の心得などはない。太郎冠者はそんな大名を慮って「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいづる」という歌を予め教えておいた。亭主の前で大名は一々太郎冠者に続きを尋ねながら披露していたが、いつの間にか彼がいなくなってしまい続きである下の句を言わずにいる。どうしようもない大名はその場から逃げようとするが亭主はそれを許さない。結果、頓珍漢な答えを出す事になる。
舞台上でまず目を見張ったのはシテ・山本東次郎の装束である。深緑を基調としたものに山吹色の銀杏の葉が散りばめられていた。正しく演目の題が表す通りに秋を感じられる物だ。
太郎冠者が切戸口から消え、舞台上に大名と亭主だけになる後半部分は、特に二人のやりとりが光りそのユーモアーが際立っていた。
太郎冠者が居ない事に気づいた大名は、亭主を置いておいて舞台上を足早に探す。しかし毎度、橋掛りに到達するか否かのところで亭主に袖を引っ張られてしまう。しばらく大名は抵抗するが絶対に放すまいとする亭主の気概に押し負け観念して、元の位置にトボトボと戻って行く。
この場面の、大名が発する「ハイ」という一言が実に巧であった。声調が「ハイ」と発する時だけ瞭然と異なっていたのである。素の声、というべきだろうか。能や狂言に於いては絶対に発せられることのないであろう、日常に用いる時の声を発していた。誰しもの想定の外にあったその声に観客は驚き、そしてその驚きはやがて笑いに変わっていた。
二十分の休憩を挟んだ後、次いで能「景清」が始まった。シテ・本田光洋、ツレ・中村 昌弘、ワキ・野口能弘、ワキツレ・則久英志。
作者不明である四番目「景清」は「平家物語」の後日談という体裁である。
シテである悪七兵衛景清は八島の合戦で武名を轟かせた武士だ。源平合戦にて平家が敗れた後、彼は盲目となって今や遠い日向国・宮崎で乞食同然の暮らしを送っている。そんな彼の現状を風の頼りで聞いた娘・人丸は鎌倉から父を探す旅に出で、とうとう宮崎に辿り着く。娘が目の前に現れたが、かつての栄光は失われ今や恥ずべき姿となった己を見せまいと初めこそ上手く他人の振りでやり過ごす。だが、里人の助けもあって娘は再び景清と、そして彼を父親と認識した再会を果たす。女はかつての父親の武勇を知ろうと、八島の合戦での活躍を語って聞かせてほしい、と懇願する。景清はそれを聞き入れ、娘への形見とすべく八島の合戦の事を語るのであった。
今回の『景清』は盲目であるから、盲ではない人間がどの様にしてそれを演じるのかが私の期待するところであった。そしてただの盲ではなくかつて武勇を轟かせた者である。それをどの様な演技で演じるのであろうか、というのが甚だ期待であるところであった。そこは、さすがというべきであろう。ほとんど正面を見据えつつ微動だにしない姿。そうかと思えば、後半の見せ場とも言うべき八島の合戦を語るその姿(特に相手の鎧を剥ぎ取る様子を見せるため腕を宙に伸ばす様)は正しく危機迫るものがあった。
『景清』の見せ場たるシーンはもちろん武勇を語る段であるが、景清と娘・人丸の一度目の再会の後も彼の恐ろしさが垣間見えた。
女と再会し、かつてと比べ今の己の身を恥じていた時。もの思いに耽っている景清の思索を破る様に里人が声をかける。それに憤る時、今まで頑なに静の動きを保っていた景清が突如として動となる。私はそのシーンに大きな恐怖を覚えて背筋が凍った。
少々気になったのは景清の帽子の着付けが悪いのか、時折後見が直していたところだろう。一度なら仕方ないとしても三度、四度となるとそちらの方ばかりが気になってしまう。しかし、演者としてその様な気が散る事態があっても全く動じない姿は流石という他ない。
人丸の演技も良かった。特に最後の場面。景清の語りを聞き終えそのまま去っていくシーン。その別離は今生の別れを意味している。それを背中で演じるのは非常に至難であることは想像に難くないが、私は彼女の背後にそれを多分に感じ何とも悲しい気分に陥った。
能『景清』はこうして終わった。
敗れゆく男の生涯、遠く離れていても父親を思い続ける女の真心、それがよく描かれ又演じられた舞台であった。