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『この世界は醜いもの穢れたものに満ちている』(維摩経)

維摩経(ゆいまきょう)は紀元1~2世紀ころに成立した大乗経典で、中国を経て日本にも伝わり、聖徳太子による注釈書「維摩経義疏」もあります。今日でも大切にされる経典の一つです。

維摩経の最初の章は「仏国品(ぶっこくほん)」と呼ばれ、仏の世界がどのようなものか説かれます。その概略は、

お釈迦さまが語られた、「道を求める人にとっては、どこであろうとも、いるところがそのまま仏の国である。(中略) 心が清ければ、そのいるところ、その国も清い」。

舎利弗(しゃりほつ =※仏弟子のひとり)は思った、「それならば、お釈迦様の心はすでに清いというのに、なにゆえにこの世はこのように穢れているのであろうか」。

お釈迦さまは舎利弗の疑問を見抜いて語られた、「太陽や月に光がないといえるであろうか。光がないと見るならば、それは太陽や月のせいではない。見る者の目が曇っているからである」。

しかし納得がいかない舎利弗が問いました、「しかし、この世界には高い低いがあり、道は平たんではなく落とし穴や棘(いばら)があり、醜いもの穢れたものに満ちています」。

そのとき、お釈迦さまは足をあげてその指を大地の上に置かれた。するとたちまち、この世界は姿を変えて光を放ち、無量の宝石で美しく飾られた世界として現われた。ひとびとは驚きの声をあげた。そこで皆に語られた、「心を清くしたならば、このように光り輝く世界をいつも見ることができるのである」。

お釈迦さまが神通力をおさめると世界は元の姿にかえったが、皆は喜びに浸った。

木津無庵著『新訳仏教聖典』を参考にしながら現代的な表現に換えています。

※(二言メモ)

十数年前、在家だったころ、一般向けの宿泊坐禅会に参加して老師の提唱(ていしょう=※禅の宗旨の肝要なところを説法すること)をはじめて拝聴したのが、この「維摩経 仏国品」でした。約1時間のお説法でしたが、途中から涙が止まらなくなりました。おそらくはそれが、出家ということを考える最初のきっかけとなっています。

金子みすゞさんの詩に戻ります。

海は青い、かもめは白いのです。
だから、今この瞬間あるいのち、ひいてはこころを信じて、生きましょう。


画像:新潟県湯沢町 大峰山にて

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