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「しのぎのプロになれ。」
阿佐田哲也著・「ドサ健ばくち地獄」を読んだ。
「麻雀放浪記」では坊や哲が主人公ではあったけど、主人公より強烈でカリスマ的な存在感を放っていたのがドサ健。
そのドサ健を主人公にしたスピンオフ作品がこの本。
俺は「麻雀放浪記」が超超超好きなんだけど、こっちも超面白かった。
ドサ健らしさが全開で読むと気合が入る。
こういう奴らを気合が入ってるっていうんだよね。
いつかまた読んだら「麻雀放浪記」の方もアウトプットしようと思う。
警察からもヤクザからも隠れて博打ができる物件を探していた時、
あまりにも用心してチェックするドサ健をみた連れの女が、
「あんた意外に細かいのね。ばくちのプロだと思ってたけど、まさか軍師だとは思わなかったわ。」
と言ったのに対して、
「馬鹿いうな。ばくちのプロなんて居るもんか。コロしたり、コロされたり、俺はしのぎのプロなんだよ」
と返したシーンが俺は超好き。
しのぎって言葉は
苦しいことや逆境を我慢して切り抜けるという意味があり、
ドサ健は自分をそのプロだと言ったんだよね。
だから、しのぎのプロだから、ドサ健は博打に強かったんだ。
そして、しのぎのプロにアマチュアが博打で勝てるわけがないという。
それを語ったのがもう一つの好きなシーン。
会社勤めしている女が麻雀にハマるももう手が出せないほど負けてしまう。
「麻雀が下手だっていわれればそれまでだけど、結局一番の敗因は何なのかかしら。」
とドサ健に言うと、
「うん。それよりも、身体ごと投げ出してないからだろうな、あんたの場合」
と返す。
さらに「定職があったらダメってこと?」との問いに、
「ああ、駄目だね。すくなくとも、あそこでは。たとえば大工仕事をすると、アマチュアは少し器用でも、本職にかなわないだろう。大工の話なら皆そう思ってる。ところが、ばくちは、アマチュアでもプロに交じって打てると思っちまうんだ。そこがおかしいんだよ」
「ばくちを舐めてるんだね。だから負けるのも当り前だ。見てごらん。あそこでも、今、ひィひィいってるのは、主として、本業のある連中だ。ばくち中心に生きてる連中は、ばくちのためにコンディションをととのえている。片っ方は片手間。この差は大きいよ」
と語る。
これは、プロとアマチュアの明確な差だと思う。
プロは勝つために・食っていくためにコンディションを整え闘いに挑む。
アマチュアは定職をしながら、安定した食料を貰いながら、闘いに挑む。
アマチュアが悪いって話じゃないんだけど、
闘いの姿勢・勝利への飢えを考えたらそりゃプロには勝てないんだよね。
だから、アマチュア同士でヤれば勝てる闘いもあるだろうけど、
アマチュアはプロには絶対に勝てない。
「恒産なくして恒心なし」とは孟子が言った言葉。
これは、”定職に付き安定して財産を持てないと正しく落ち着いた心は手に入らない”という意味。
今は複業(副業)が当たり前な社会に変わりつつある。
だからこの言葉通り、
定職に付き安定した資産を得ながら落ち着いて別の収入源を増やすことはいいことだとは思う。
たとえ複業で上手くいかなくても食っていけるしね。
ただ、俺はこの状態では磨かれないものがあると思っている。
それが嗅覚だ。
安定して落ち着いてしまったら、勝利やチャンスに対しての嗅覚は磨かれない。
繰り返すけどその理由は、定職があるんだから勝負に負けても食ってはいけるからだ。
さらに、勝機を見いだせたとしても一瞬遅れる。もしくは全く動けない。
その理由も、定職という縛りがあるからだ。
そんな縛りも恒産もないプロは、
勝利への嗅覚が異常で、勝機を見出した瞬間勝負に出れる。
だから、
本当に何かのスキルを徹底的に磨こうと思ったら、
本当に結果を出したいと思ったら、
しのぎのプロになるんだ。
博打でも、セールスでも、マーケティングでも、ライティングでも、
結果を出したい場所やスキルはなんでもいい。
目指すべきは、しのぎのプロ。耐えしのぐプロだ。
苦しいことや逆境を耐えしのげるプロになれれば、
嗅覚も敏感でチャンスを一瞬も見逃さない。
片手間で上手くやろうなんて考えの奴とは成長スピードも全然違うわけ。