「理由を求めるな。」
今日のブログは二本立て!
では、本題。
今日も、小坂井敏晶著・「社会心理学講義 閉ざされた社会と開かれた社会」について。
昨日紹介した虚構生成プロセスの具体例は恋だ。
たとえば恋をしたとき、なぜその人が好きなのか?を自問してみる。
可愛いから、カッコイイから、優しいから、背が高いから、料理が上手だから、収入がいいから。
こんな理由をいくつも思いつくかもしれない。
ただ、理由があってその人に恋をしたということは、
その理由に当てはまる人がいれば、別に誰にでも恋をするってことだ。
今恋をしているその人よりも、
可愛い人、カッコイイ人、優しい人、背が高い人がいればそっちの人の方が好きになり恋をするということ。
でも、当然違うでしょ。
たしかに可愛いから、カッコイイから、その人に恋をしたかもしれないけど、他の人じゃダメでしょ。
個々の特徴じゃなく、その人だから好きになる・恋をするわけだ。
ここからわかることは、好きな理由・恋をする理由が明確になるだけでは恋愛感情は生まれないということ。
恋というのは、そんな「打算」や「具体的理由」を超えて相手自身が好きだという感覚なんだ。
”よくわかんないけど、とにかく好きだという曖昧なようで揺るぎない確信だけはある。”
これはつまり、自分が恋をする相手が何者であるかはわかっていないということ。
昨日、《自分》なんてフィクションだと書いたけど、
《彼》や《彼女》だってただの社会心理現象に過ぎず、脳が繰り返す虚構生成プロセスなんだ。
そうやって虚構がつくりだされるから、恋というよくわからない現象が生まれるんだ。
虚構がつくりだされることが良い悪いは置いておいて、
恋という現象もフィクションだと理解できると、
理由なんていらないし、とくに重要じゃないとわかる。
具体的な理由を求めたり、すぐ理由をつくりたがるヤツは、人より理由を大事にしている可能性がある。
大事なものは、
”よくわかんないけど、とにかく好きだという曖昧なようで揺るぎない確信”だ。
これこそ、自分に対して、相手に対して、誠実であることの証明じゃないかな。
だって、好きな理由があるってことは、その人を好きになったんじゃなくてその理由を好きになった可能性が高いでしょ。
でも、よくわからないけどとにかく好きってことは、理由じゃないんだよね。
「その人」を好きってことだ。
これは、人じゃなくても同じことが言える。
つまり、なにかモノゴトを取り組むときだって理由はとくに重要じゃないってこと。
例えば、
やる理由を明確にしよう!みたいなワークがあるけど、まじで無意味。まじで時間の無駄。俺は大嫌い。笑
「私(俺)のどこが好き?理由をたくさん答えて?」と問いつめられたらクソウザいでしょ。
このワークはそれと一緒なんだよね。
それなりの理由なんていくらでも探せるんだから、わざわざ頑張って探すものじゃない。
別にあってもいいんだよ。
だけど、あってもなくてもどっちでもいいってこと。
理由はわからないけど、やりたいからやる。
理由はわからないけど、その人のことが好き。
「曖昧だけど揺るぎない確信がある」ことほど誠実なことはない。