「見ているものは違うから。」
丸山ゴンザレス著・「世界の危険思想〜悪いやつらの頭の中〜」を読んだ。
俺の大好きな番組「クレイジージャーニー」で知ったこの著者は、世界のスラム街等の危険地帯を取材するジャーナリスト。
番組も面白いんだけど、著者のキャラクター性も面白く何よりこの本はこの著者でしか書けないものを書いていると思い読んでみた。
この本を読んで
人それぞれみているものは違う。
と強く思った。
それも、ただ違うだけじゃなくて全然違うんだ。
生きるためにお金が必要だから仕事として人殺しをする人間や
家族のため子どものために売春をする女性(しかも旦那は肯定的)や
犯罪者を大勢取り調べするのがめんどくさいから一人だけ残して他は殺す警察や
交通事故が起きた時、死んだほうが安く済むという理由だけで重傷者を再びはね飛ばして殺そうとする金持ち
が世界にはいるんだ。
日本にいたら・日本しか知らなかったら考えられないようなことが世界では日常的に起きている。
本ではこういう危険な人間の環境や事情に触れていて勉強にはなるけど、とても肯定はできなかった。
ただ、全否定をできないなとも感じている。
だって、俺のような日本人はその環境にいたことがないし豊かすぎる環境でずっと生きてきたから見ているもの感じるものが全然違うわけ。
人を殺すなんてどんな環境にいてもタブーだから、
一瞬で大金が手に入る人殺しの仕事なんてやってはいけない・あってはいけないと思ってはいるけど
それしか仕事がなかったら?それしか仕事がなくやらないと生きていけなかったら?を考えるとキッパリそれでもNOとは言えなんじゃないか。
NOと言える人は今まで豊かなところで生きてきてそういう状況を経験したことがない人たちだろう。
もちろん、殺人なんてあってはならないよ。
だけど、実際に彼らと同じ環境で生きていたらどう行動するかわからないでしょ。
環境が違えば頭の中に入ってくるものが違うわけで、
当然考え方も行動も見える世界も全部違ってくるんだよ。
だから、彼らを全否定はできないんだよね。
人それぞれ見ているものは全然違うという単純で当たり前なことを、
どれだけの人が意識しているだろうか。
豊かな環境にいる日本人は全然意識できていないんじゃないだろうか。
著者も最後に書いていたけど、
少しでも失敗をしたら許さず叩きまくり拒絶し二度と復帰できないような風潮の日本はおかしいし、それこそ残酷で危険な思想なんじゃないか。
何回も書くけど、犯罪や殺人を肯定はしないよ。
だけど、「見ているものが違う」を受け入れている人が少なすぎるんじゃないか。
自分と違うものは決して「悪」ではないんだ。
じゃあ、「見ているものが違う」を受け入れる器を持つためにはどうすればいいのか?
俺は、日本だけじゃなく世界をもっと知ることだと思う。
この本のような世界を知れるものを読んだり、映画を観たりすることだ。
まぁ、旅に出て世界を観て肌で感じることが一番だと思うけどね。
特に日本人は島国だし、鎖国した歴史があるくらい閉鎖的だ。
それが全てデメリットではないけどガラパコス化しているのは事実。
だから、世界に目を向けて視野と器を広げるべきなんだ。