「幸福も不幸も伝染する。」
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「知る」大切さを知りたかったら読んでみて!
では、本題。
宇野千代著・「生きていく私」を読んだ。
小説家・編集者・着物デザイナー・実業家として、大正から平成にかけて大活躍した著者が書いたのがこの本。
内容は本人の自伝書で超面白い。こんな面白い人がいたなんて知らなかったから知れてホント良かった。
めっちゃ放浪し、めっちゃ恋愛し、めっちゃ仕事をし、めっちゃ家を建てる行動力はマジで異常。
おそらく現代なら大炎上してしまう可能性大、まさに「元祖肉食系バリキャリ」だ。
今よりも女性が活躍しにくい時代だったのにほんと凄いと思った。
この本を読んで、好奇心を持ち続けること・生きたいように生きることの大切さを改めて感じたけど、一番印象的だったのが幸不幸は伝染するという考え。
著者は、「私はこんなに不幸なのよ」みたいないわゆる不幸自慢を聞くのが苦手だと言う。
その理由は、聞いている間にその人の不幸が伝染して自分まで不幸になる気がするからだ。
ただこれは別に著者が利己的で不幸に無関心でいたいからではないという。
たいてい不幸自慢をする人の不幸とは、本当の不幸ではなく、その人が不幸だと思っているだけなんだ。
そんなものに無意味に感染するのは利口じゃないから、イヤなんだという。
と著者はいっていたけど、ほんとその通り。
自分が思っている不幸はある人にとっては全然不幸じゃないし、自分にとっての幸せはある人にとっては全然幸せじゃないなんて当たり前でしょ。
たとえば恵まれた日本人が考える不幸なんて、貧困国にいる人たちからすれば全然不幸じゃないんだよね。
「なんだその贅沢な悩みは!」と思われるはず。
それにお金があれば幸せと思っている人もいれば、家族がいてくれることが幸せと思っている人もいるでしょ。
幸福も不幸も自分が作るもの。
「幸せなんて」にも書いたように、だからその定義をさっさと自分で決めちゃえばいいんだよね。
俺も著者と同じく不幸自慢や愚痴を聞くのが苦手、というか大嫌い。
もちろん、組織を良くするために問題点をあぶり出し「こういう事例がありました」的なこと挙げるなら全然良いんだけどね。
でも、ただの不幸自慢や愚痴を相手に話すなんてエゴでしか無いでしょ。
だって自分は話してスッキリするかもしれないけど、相手は絶対スッキリしないんだからね。
俺は不幸自慢や愚痴を言う人のことを、気遣いが出来ないヤツなんだなと思ってしまう。
そしてなんでお前のスッキリのために、時間を消費して不幸に感染されないといけないんだと思ってしまう。
なんだか書いているうちに、不幸自慢や愚痴を言うヤツは、他人に自分のウンコを見せつけているのと同じだなと思ってきた。笑
だって自分のウンコって出せばスッキリするでしょ。
でもそれは他人が見てもスッキリしないどころか嫌になるでしょ。
(スッキリする性癖の人もいると思うけど)
不幸自慢や愚痴も同じなんだよ。
それを聞かされる人、ウンコを見せられる人の気持ちを考えろよな。笑
話がそれたけど、とにかく幸不幸は伝染するってこと。