「ケモノにならないように。」
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ウソでも強がれば、勝手に本当に強くなる。
二人の大革命家の戦略と、ウソでも強がる大切さを知りたかったら読んでみて!
では、本題。
中島敦著・「山月記」を読んだ。
33歳という若さで亡くなった天才作家のデビュー作であるこの本は、日本文学の中でも特に高い評価と知名度がある作品。
若くして科挙試験に合格する秀才で自信家の男・李徴は、詩人を目指すも上手くいかず、精神がおかしくなり森に逃げ込み虎になってしまう。
その森で偶然出会った友人に、自分の数奇な運命を語る。
というのが、超ざっくりとしたあらすじ。
ポイントはやはり虎になってしまった理由。
それはつまり、臆病な自尊心と、羞恥心からくる強情と驕りだ。
李徴がまだ人間だったとき、人との交流を避けていた。
たとえば詩人になりたいという願望があるのに、師を見つけ教えを受けたり、仲間を作り切磋琢磨しなかった。
その行為は他人からみれば強情や尊大だと思われる行為だったかもしれないけど、実はほとんど羞恥心に近いものだったんだよね。
そう、ただ単に教えてもらったり、仲間と交わるのが恥ずかしかったんだ。
それに彼は秀才で自信家だったから、自尊心はたしかにもっていた。
でもそれは、臆病な心から生まれるものだったんだよね。
そうやって次第に世間と離れ、人も遠ざかり、ますます臆病な自尊心が膨らんでいった。
その結果、精神がおかしくなり虎になってしまったんだ。
この虎になった理由を知れば、羞恥心と臆病な心を持つと、現実をまともに観ることができなくなるとわかる。
羞恥心と臆病な心とは、つまりクソみたいなプライドだ。
なりたい将来や達したい目標があるのに、クソみたいなプライドに囚われたらお終いだ。
目標も夢も結果も、全部ムリ。
しかもそれだけじゃない。
人が離れていくんだ。
そうなったら本当に終わりだよね。
でも、クソみたいなプライドを持つと人が離れていくなんて当たり前だよね。
じゃあクソみたいなプライドに囚われないためにはどうしたらいいのか?
それは、素直さを持つしかない。
できないことをできないと言う、わからないことをわからないと言う、教えてほしいことを教えてと言う。
こんなシンプルなことで良いんだ。
李徴はそれができなかった。
恥ずかしい思いをしたくないという気持ちが強すぎて、それが強情とズレた自信に変わり、「できない」「わからない」「教えて」を言えなかったんだ。
できないくせに、ずっとできると思っていたんだ。
そりゃいつまで経っても詩人になれないのは当たり前でしょ。
そしてクソみたいなプライドに囚われないためにはもう一つ。
それは、その感情はどこから来ているのか?ともう一段階掘り下げることだ。
たとえば李徴だったら、
自尊心は臆病心から、強情と驕りは羞恥心から来ていたでしょ。
こんな感じで今生まれている感情をもう一段階掘り下げると、根本的に支配されている感情がわかるんだよね。
それがわかれば、クソみたいなプライドに囚われているのか判断できるでしょ。