いつかはすべて忘れてしまうから/2022
今年に入って、何度も行き来している北海道のとある空間で、このnoteを書いています。
2022年が終わろうとしている今、なんとなく1年を振り返っている人も多いのかな。
私も滑り込みという感じで、そこら中に放たれた記憶を1つひとつ拾い集めながら、今年最後になるであろう文章を綴ろうかと。
なんだか私は、人とのお話の中で、自分が思っていることや言いたいことのサンブンノイチもいえていないことがほとんど。
遠慮だとかそういうのではなくて、やっぱり”頭と話すこと”が同時にはつながらないみたいで。私のキャパはそんなものなのだ。
直すための努力もそれなりにはしてきたけれど、あまり変わらない。
だから、書くんです。もうそれで十分。
さ、はじめましょ。
今年の3月に、どこかへ滞在し続ける旅はひとまず休憩期間に入りました。
私が旅をしようと決めたのは大学の4年生だから、自分のこれからにずいぶんと切羽詰まっている時期だった。
だから大半は「どうにかしなければ」を見つけるための時間になっていたと思う。
そもそも物事に求めるものも、こだわりもない私は、そんなもの見つかるわけもないのにね。
わかったのは、「旅のような生き方が好き」ということだけだった。
偶発的でどこか必然な出逢いや、視野の広がる豊かな経験だったりね。
だからこの先決めていくことにも、考えていくことにも、求めすぎてはいけないと思って。
とにかくシンプルな理由で。直線的なものでいいと感じたんですね。
身軽でいるためにも、私の自分に対するこだわりを手放す、これが2022年の大きなテーマでした。
4月からは、ただただ自分の気になるものに飛び込み学ぶことと、北海道との行き来。
朝から満員電車に乗って、参勤交代みたいな行列の中に足を進めていくのもなかなかな経験。
自分のキャパや性質を知って受け止めること
それでも自分のできることで小さく続けること
人との関わり合いの中で、学ぶこと
見えない部分に目を向けていくこと
苦しい時もそりゃあるけれど、ちゃんと続けた自分はえらい。
一方わかったこともたくさんありました。
「人の心の温度を上げていくこと」をちゃんと傍らで追うのが私には大事だということです。
「心の生きづらさ」に寄り添いたいという私のかねてからの想いは、義務感になってはいけないと、今年に入って少し距離を置いていました。
でも、そのことを考えずに過ごしていくしかないスピード感のある毎日も、なんだかモヤモヤする。
私は書くことだったり、音楽だったりと目立たずとも確かに自分を表現していくことが結構好きで。
「寄り添い方」は、まず自分の表現活動の中で確立していこうと、手始めにZINEを作り、販売してみました。
「自分の葛藤している部分は、誰かの希望の光にもなる。」そう思うんです。
成功している人、みたいなキラキラとした文章は私はあまり好まないので、私が読みたかったもの「私という人間が伝わるもの」をベースに書いてみました。
すると。思いの外ちゃんと購入して読んでくれる人たちがいた。
本当にありがとうでいっぱいです。
自分が残さなかったら、無かったものになるかもしれない景色も気持ちも存在も。
これからたくさん残していこうと思います。(ZINEも第2弾、つくるよ)
そして12月もまもなく終わる今。
最近、ちゃんとスクールでのWEBデザインの勉強をはじめました。
理想の暮らしもそうだけれど、身軽な状態は確保しておきたい。
そのためには、自分のできることに少しでも筋肉をつけていきたいわけなのです。
こんなことができたらいいな、やりたいなと思った時に、すぐ舵を切れるように準備をしていくことも大事。
知らない世界を学ぶ時間もこれまた楽しいですね。
と、少しばかり振り返ったわけですが、生き続けることってかなりパワーがいると思うんです。
結局のところ、
「この1年、生きていてくれてありがとう!」と、
「みなさまお疲れさまでした。」
が伝えたかった限り。
ここぞとばかりに自分をハグして甘やかして。この年を納めてくださいね。
良いお年を…