Angela(アンジェラ)−2
それでもアンジェラとマンマの言い合いにはどうしても馴れないでいた。昔、「木偶の坊」という言葉があったが、そんな感じで私は怒鳴りあう二人をただ見ているばかりで、全く役に立たない。
「アンジェラに何とか言ってよ」
とジーノに頼んでも、
「気持ちはわかるけど、ここはアンジェラに任せるしかないから」
と言われてしまう。
「夏だけ来て言いたいこと言って帰る方はいいけど、こちとら三百六十五日付き合っている身にもなってよ」
などと怒鳴りつけられそうで、ジーノにしたらアンジェラに遠慮があるのだろうが、他人の私が拙いイタリア語でなだめるよりもいいだろうに、こういう時、八方美人のジーノが全く頼りにならないなあと思うのだ。
「だったら、来年からホテルに泊まろう。もうこんなストレスはいやだから」
とこちらまでジーノに喧嘩腰になった。
そんなことがあった年の冬、マンマが転んで脚の骨を折り、寝たきりになってしまった。次からはホテルに泊まるという話もそれでなんだかうやむやになり、その翌年も結局、マンマのアパートで一週間を過ごした。
気丈で、身の回りのことはできる限り自分でやっていたマンマだが、週に一回看護師さんが導尿カテーテルを取り替えに来る以外は、食事の用意から、おしめ、体を拭くこと、毎日の薬の管理まで全てをアンジェラがやるようになった。
そのころから少しずつ、マンマのボケが始まった。耳も遠く、目もよく見えないマンマだが、前からの習慣で、テレビは一日中つけっぱなしにしてある。夕方になるとその画面に向かって
「パパ!パパ!」
と大声で叫ぶことがしばしばあった。
「画面の中に何か怖いものがいて、父親に助けを求めているみたい」
とアンジェラが説明した。
「お爺ちゃんの話なんかしたことないのに、マンマは子供に戻ったみたいだ」
とジーノが悲しそうに言った。
毎週日曜になると息子や孫たちがマンマの顔を見に入れ替わり立ち替わりやってくるが、時々、相手が誰だかわからないということが増えた。
ジーノは、兄弟の中で一番わがままで頑固で手のかかかる子だったそうだが、若くして故郷を離れたせいか、マンマは特にジーノを子供扱いして心にとめていたようだった。でもそのジーノのことさえ夏の帰省で久しぶりに会うと最初はわからなかった。
ベッドから動けなくなったマンマは、昼の多くの時間を、うとうとと居眠りをして過ごすようになった。その反動か、夜中の二時、三時に目を覚ますこともあった。
トイレに起きるとマンマの寝室の入り口から少しだけ中の気配がわかる。マンマは朦朧として暗闇に幻覚を見て叫んだり、泣いたりすることがあり、隣で寝ているアンジェラがなだめすかしているようだった。そのまま明け方まで眠らなかった、と翌朝アンジェラから聞くことも多かった。
そんな日の朝に限ってアンジェラは家じゅうをピカピカに掃除し始める。
マンマが疲れて眠っている間、一緒に朝寝坊すればいいじゃないか、と思うのだが、朝起きれば、もうテーブルには私たちの朝食のカップとビスケットが入った缶が置かれ、ガス台には火をつければすぐコーヒーが沸くようにエスプレッソマシンがセットされている。
下げた食器を洗おうとすれば、アンジェラがすっ飛んできて、取り上げてしまう。七階にあるマンマのアパートはパイプの吸い上げだかの関係で特に朝は水の出がよくないそうで、水を節約しなければならないという。それで水を節約するアンジェラなりの洗い方があるらしいのだ。そういう時のアンジェラの口癖は、
「Io so cosa devo fare」
だった。直訳すれば
「どうすべきかは私が知っている」
つまりは
「余計なことしなくていいから」
と言いたいのだ。海で使ったバスタオルを干そうと思って洗濯ばさみを探してうろうろしていると
「なんで私に言わないの」
とバスタオルを奪われて、
「Io so cosa devo fare」
と叱られてしまう。万事がこんな風で、私は手出しができなかった。
アンジェラは結婚したことがない。恋人がいたという話も聞いたことがない。私がアンジェラと出会ったころから、いつも化粧っけなく、マンマの世話と家事ばかりしていた。
私たちが泊まる部屋はジーノが幼い時に使っていた部屋だった。ジーノが実家を出てからはアンジェラの部屋になっていたようだが、クローゼットに少しの服が入っているくらいだった。
いつだったか一度、トイレットペーパーがなくなったので、貯蔵庫を開けたことがあった。日用品のストック棚に洗剤やシャンプーの買い置きに交じって、赤、緑、黄色などのカラフルな人工石が甲についてキラキラしたヒールの高いサンダルがそっと置いてあった。
アンジェラの外出といえば、午前中の市場かサラミ屋さんへの買い出しか、お気に入りの週刊誌の発売日に忘れず買いに行くぐらいで、姪っ子の結婚式にも、マンマを一人で置いてゆけないという理由で参加しなかったのだ。その靴はまだ履いたことがない新品のままのようだった。
時々、近所のネイルサロンにゆき、きれいにマニキュアをぬってもらってくることがあったが、だからと言って、どこかに出かけるわけではなかった。
アンジェラの部屋には、彼女が肩パットの入ったジャケットとミニスカートのアンサンブルを着て芝生に座り足を組んでいる若い頃のポートレイトが大きなパネルに引き伸ばされて飾ってある。もう一方の壁には、雑誌から切り抜いた香水の宣伝写真が貼ってある。モデルは太い眉毛が一世を風靡したころのブルックシールズという女優だ。私にはアンジェラの青春がそこで止まってしまったように思えた。
( 2/4 つづく)
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