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Angela(アンジェラ)−1

「“マンマを殺した”とマリコに伝えて」

アンジェラからの伝言を甥っ子から私が聞いたのは二年前の秋だった。

アンジェラは九十九歳になるマンマと同居していた。マンマとはイタリア人が母親を呼ぶときに使うママにあたる言葉だ。

寝たきりのマンマの世話をアンジェラは殆ど一人でしているのだが、マンマに向かって怒鳴ったり、大げさな舞台役者のように

「ハッハッハッ」

と笑って、あからさまにマンマをバカにすることがよくあった。

一度など

「私はもう世話しないから、勝手にしなさいよ!」

と、これ見よがしにマンマの目の前で、洋服ダンスからトランクを取り出し、それを引きずって部屋から出て行ったこともある。

そんな時、アンジェラは私を廊下に呼んで

「私が玄関から出て行ったってマンマに言ってよ」

と声を落として少し意地悪な笑みで言うのだ。

共犯になるのはまっぴらだと私は

「そんな風に脅すみたいなこと、よくないよ」

とアンジェラをたしなめる。

マンマも、それでもまだ元気な頃はよく怒鳴り返し、アンジェラが機嫌をそこねて部屋を出てしまっても、動けないベッドの上でまだ悪態をつき続けた。

言い合いの原因は、マンマが苦い薬を嫌がって飲まないとか、食べたくないものをアンジェラが無理やり食べさせようとするとか、大概そんな小さなことだった。

その反面、アンジェラはよく気がついた。

マンマの部屋の天井に五つのユリの花をかたどった電灯がついていた。花弁の中心に電球がはめ込まれているのだが、その一つ、時には二つに小さな紙袋が被せてあった。私は、電球が壊れでもしているのかと不思議に思っていた。

ある日、夕方薄暗くなってきてアンジェラが電気をつけると、その日は紙袋が外されていて五つの電球が点いた。マンマがちょっと顔をしかめたのだろうか、アンジェラがすぐに電球の一つに紙袋をかぶせると、私を振り返り

「こうすると眩しくないの」

と言った。

なるほど、電球は五つだと薄緑色の瞳をしたマンマには眩しすぎる時がある。紙袋をかぶせたら光を微妙に調整できるというアンジェラの気配りだった。

そういえば、窓からの陽射しに合わせてカーテンの開け閉めも、風の抜け具合も、こまめによく調整していた。

まるでアンジェラの身体がセンサーで、マンマの感覚を細胞レベルで感知して、全てを快適にコントロールしているみたいだった。

アンジェラは大きなダブルベッドにいつもマンマと一緒に寝ているので、その微かな寝息の変化さえもきっととらえられるのだろう。

アンジェラはジーノの妹で、ここ何年か、私はパートナーのジーノと一緒にマンマのアパートで夏休みを過ごす。アンジェラとマンマのこんな日常と隣合わせで一週間を過ごすのだ。

ジーノは南イタリアのバーリの出身だ。

「七人兄弟のうち僕一人だけ二十一歳でミラノに出てきて、あとはみんな今もバーリに残っているんだよ」

というのが初対面の人と会った時のジーノのお決まりの台詞だった。

警察官として四十三年間ミラノで勤めあげた誇りとバーリへの郷土愛が入り混じっていた。

南イタリアは家族の結びつきが濃いので、バーリに来ると、私はジーノに連れられて親戚じゅうを食事に呼ばれて回ることになる。

特にジーノの弟ビートの家では、料理上手の奥さんルチアが土日ともなると腕を振るう。

お嫁に行った娘が旦那と子供をつれてきたり、一人暮らしの息子が彼女を連れてきたり、近所に住むルチアのマンマなども参加して、にぎやかな南の大家族の食卓になる。

ところがそのうち、私には何だかわからないバーリの方言で、親子で、兄妹で、大声が飛び交い始めるのだ。どうみても喧嘩のようで、それが始まると私は身の置き場がなくなり、早く逃げ出したい気持になった。

だがルチアは怒鳴りあっている家族をよそに、あっけらかんと

「マミコ、これ食べなさい。子ガニのパスタでソースにいい出汁が出てるの。この子ガニをね、こうしてしゃぶるとまた美味しいのよ」

と、確か名前をペローサと言ったか、沢ガニみたいなのにかぶりついて見せる。

「ほう」

と私が見とれているうちに、言い合いをしていた当人たちもさっきのことは全くなかったかのように、いつの間にかケロっとして大笑いしているのだ。

”ああ、これが南の人の気質なのか”

と気づき、慣れるのに数年かかったものの、そのうち言い合いを尻目に、私も平気で子ガニをしゃぶっていられるようになっていた。 (つづく)


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