[ミラノで社交ダンスを習う。アラ環の手習い①] 体験レッスンにゆく
イタリアのダンス事情、社交ダンススクールの実情、発表会に向けて悪戦苦闘する様子など、緩やかに綴ってゆきたいと思います。
(なぜ、社交ダンス?)
久しくお稽古事などしたことがなかった私が、60歳を前にして、社交ダンスを習うことにした。
イタリアの年齢層の高い大人たち(50代から上は90代まで)には踊れる強者が多く、土曜の夜など食事が終わった後はダンスが始まる。
イタリア語で“リッショ”と呼ばれる社交ダンスだ。
かくいうパートナーのジーノも、私と付き合う前はダンス教室に10年以上通っていて、居間のテレビの上には元カノと出場したコンクールで貰った優勝カップが飾ってある。
ジーノと出会ってすぐの頃、私も見様見真似で踊ろうと試みたこともあったが、ジーノはとにかく教え方が下手だった。
「音楽を聴け、リズムに乗れ」とか、
「俺がリードするから俺に合わせろ」
とか、言っていることがとにかく感覚的で、ちっとも要領を得ないのだ。
その上、すぐに癇癪を起こす。
私の一挙手一動全てを頭ごなしに否定する。
私以外の初心者と踊るときは、相手がどんなに間違えてもニコニコ見守るジーノの姿を見ると、私は二重人格者を見るような不愉快さを覚えた。
これはカップルにとって、精神衛生上、非常に良くない。
ただでさえイタリア語が拙くて肩身の狭い思いをしているのに、この上、
「お前は出来損ないだ!」
という烙印を押されているような、自分への腹立たしさも加わった。
そんなこんなで、私はみんなが踊る姿を遠巻きに見ていることが多くなった。
ジーノも、一人で踊るわけにもゆかず、私たちはダンス仲間の集まりから段々足が遠のいた。
それでも事あるごと、ダンスをする人たちを目にする機会はあった。
ある時、私の前に80歳近い腰の曲がった歯抜けのお爺さんが座っていた。
まさにヨボヨボという表現がぴったりのお爺さんだ。
ところが音楽が流れ出した途端、彼はシャキッと立ち上がり、軽快なステップで踊り始めたのだ。
相手の女性を巧みにリードし、自在にクルクルと回し、社交ダンスでありながらロックスターのような、体がビートを刻んでいるような、とにかく踊っている間中、カッコ良くて、私は彼から目が放せなかった。
本当に、ポーッと見惚れてしまった。
ダンスが終わると、魔法が解けたように、彼は元のお爺さんに戻ったのだが…
後で聞いたら、彼は長年ダンスの先生をしていたそうで、大いに納得した。
「歳をとってもあんな風に踊れたら、さぞ楽しいだろうな」
と心の底から思った。
その後も、ジーノの友達が手取り足取り、ステップを教えてくれたりもしたが、これが簡単そうに見えて、なんとも難しい。
踊っている人たちの足元を凝視して、真似してみるのだが、全く出来ない。
YouTubeで独学を試みるも1週間で挫折。
ジーノからは再三、ダンススクールに行こうと誘われていた。
でも多くは9月から始まるようで、それを逃すと途中から入学は難しい。
私の仕事は不定期なので、毎週決まった時間に拘束されるのも気が進まなかった。
そんなこともあり、うやむやに何年もやり過ごした。
だがコロナで仕事がままならなかったこともあり、腐っていても仕方がないので、今度こそスクールに行こう、とジーノと決めた。
二人だけだと挫折しそうなので、近所の仲良しマリオとクラウディア夫婦も誘った。
9月はとにかく体験レッスン期間だというので気軽な気持ちで参加しよう、と四人で申し込んだ。
「遂に念願のダンスが習える!」
久しぶりに新しいことを始める時のワクワクする気持ちが蘇った。
(遂に念願のダンススクールへ)
さて、体験レッスンのその日が来た。
指定された場所へマリオの運転で私たち四人は向かう。
だが、これが思っていたより遠い。
ミラノのはずれにあるサッカー球場も通り越し、どんどん寂しい夜道に入ってゆく。
クラウディアは、好き嫌いがハッキリしていて、気が強い。
もうこの時点で
「近いところにしようって何度も言ったのに!仕事の後、疲れているのに、なんでわざわざこんな遠いとこまで通わなきゃならないの!」
と怒り始めた。
「ごもっともだ」
と内心、私も思うが、スクールを探して手配してくれてくれたのはマリオだ。
「目がいくつ付いているの?」
というくらい、マリオは気配り目配りの天才で、なんでもパパッとアレンジしてくれる。
私とジーノはいつでも何でもマリオに任せっきりだ。
それなのに、文句なんか言ったらバチが当たる。
とにかく、
「体験レッスンに参加してから決めればいいのだから」
と思い、私もジーノもマリオも、聞こえぬふりをして、クラウディアの怒りの嵐をやり過ごしていた。
そうこうしているうちに、マリオが薄暗い学校の前で車を停めて言った。
「住所はあっているんだけどな」
「えっ?ここ?」
私は不安になり思わず聞いた。
皆、半信半疑で建物に入ってゆき、これまた薄暗い廊下を抜けると、そこには寒々しい体育館が広がっていた。
「えっ?ここ?」
私はショックでもう一度、心の中で呟いた。
「こんなスクール通いたくない!」
クラウディアが私の心の声を代弁してくれた。
そこに待っていたのは、大柄で朗らかそうな男性と小柄でとても綺麗な女性。
イバーノとティツィアーナ、40代のご夫婦がこのダンススクールの先生だ。
イバーノがジーノのことを見るなり、
「あれ?どこかで会ったことある?」
ジーノもすぐさま、
「あ!ダンススクールの!」
と思い出す。
10年以上前、ジーノが通っていたダンススクールの先生が、いまだ現役でダンスを教えていたのだ。
正確に言えば、ジーノは別のクラスの違う先生に習っていたそうだが、それでもダンススクールはミラノに数多くあるので、ここで再会できるなんてピッコロモンド(世間は狭い)だ。
何だか男性陣は意気投合していい感じになっている。
戸惑う私と怒り心頭のクラウディアに構わず、体験レッスンは始まった。
初日はワルツを教えてくれると言う。
レッスンはまずイバーノが説明し、次にティツィアーナが後を引き継ぐのだが、
ここで驚愕の事実が判明する。
何と!男性のステップと女性のステップが全く逆なのだ!
つまり、男性は前へ前へと進み、女性はひたすら後ろへ後ろへ下がるのみなのだ。
ダンスを少しでも習った人からしたら噴飯ものかもしれない。
少し考えたら誰でもわかることかもしれない。
だが、この何年もの間、ジーノやジーノの男友達が教えてくれたステップは男性側のステップで、それに私が合わせろという教え方だったわけだ。
だから、私には自分が何をしていいのか全然分からなかったのだ。
ティツィアーナは男性の動きなどお構いなしで、女性のステップ、足の運びを丁寧に見せてくれた。
私の積年の悩みはこの最初の5分、一発で霧が消える如く消滅してしまったのだ。
「早速音楽に合わせてみましょう」
「ええっ?待って、今やり方を聞いたばかり…」
とうろたえている間にも音楽が流れ出す。
なかなかのスパルタ先生だ。
ジーノと組んで、夢中で今教わったばかりのステップを踏むと、これがあら不思議、踊れる!なんて楽しいの!
ジーノは一緒に踊りながら、
「そうそうそんな感じで。何だ上手いじゃない」
とか何とか言って、嬉しそうだ。
「ジーノがもっと上手く説明してくれたら、とっくに踊れてたのに!」
と私は喉元まで出かかったが言わずに飲み込んだ。
それよりも、こんなにすぐにステップが踏めるようになるなんて、思いもよらなかったので、その嬉しさの方がまさっていた。
クラウディアの方を見ると、もう瞳をキラッキラさせて、
「絶対ここにしよう!来週からこのスクール通おう!」
と私に合図を送ってくる。
さっきの怒りはどこへやら、とは思うが、長い付き合いの中で、私は逆にこのクラウディアの自由奔放さを面白がっているし、羨ましくもある。
それに彼女は、こんな風に単純な時ばかりではなく、情に厚く、人をよく見ている細やかさも持ち合わせているのだ。
私たちの前では、気持ちのままに、開けっ広げだが。
散々手こずって、結局何年も踊れないまま、音楽が流れるとただ足踏みを繰り返すしかなかったワルツを、今、私は音楽に乗って踊っている。
しかも初日の体験レッスンで。
イバーノの話が長いとティツィアーナが割って入り、ティツィアーナが真面目に説明しているとイバーノが茶々を入れる。
二人の掛け合いはまるで夫婦漫才のようで、場を和ませてくれた。
初レッスンでワルツを踊る気分をしっかり味わえた、と言う物凄い収穫を得て、帰り道、私たち四人は来週からのダンススクール入学を祝って、ピッツェリアで乾杯をした。
つづく
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