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なぜ私は朝活・早起きをこれほどまでに推奨しているのか(プロフィールに代えて)

 4月は初心や原点を思い出す月だ。希望にあふれたスタートを切ったときもあったし、絶望にうちひしがれて、これからどうしよう...とうじうじ悩むときもあった。でも、振り返るといつも、私の転機には早起きがあった。コンプレックスにまみれ、自分と向き合うことなしに周囲の環境を責め、自意識をこじらせ、「ばかにされた!」と理不尽な怒りをくすぶらせていた自分を、朝活・早起きが変えてくれた。

 原点を振り返るこの時期に、なぜ私が朝活・早起きを広めているのかということについてnoteにまとめておきたい。

(この文は池田千恵公式サイトのプロフィールをnote用に編集したものです)

どうして「すごいあの人」みたいに私はなれないんだろう?ともがいていた

 キラッキラの、大成功している人たちの成功体験。本を読んだり講演を聴いたりしたときは「よし!頑張ろう」と思うけれど、「で、そのために私はどうしたらいいんだっけ?」と立ち止まったり、自分のダメさ加減と比べて落ち込んだりしたことはないだろうか。

 私はモヤモヤ期が長かったので、すごい人の背中がすごすぎて、どこからどう追いかけていったらその人に追いつくか、と思うと気が遠くなったことが何度もある。

 私は、中学の時の担任に「IQが低い」とクラスの皆の前で言われたトラウマのせいで、学歴や勉強コンプレックスに長年悩んでいた。そのコンプレックスを打ち消すために必死だった。

「あの人」みたいになれない自分が許せなくて、
「あの人」みたいになるためにめちゃくちゃ勉強した。

 いつもいつも、他人と自分を比べて生きていた。でも、前ばっかり向いて欠乏感から勉強しているから、いつまでたっても、「あの人」には追いつかないし、「あの人」は、私が勉強しているうちにどんどん進化していくからいつまでも超えらない。

 受験勉強もことごとく失敗。浪人して福島から上京。テレビもない予備校の寮生活で1年間友達もつくらずに勉強したのに、また志望校に落ちてしまった。なんで?どうして?「あの人」は現役で志望校にラクラク合格したのに…。

夜型から朝型へシフト。徐々に人生が回りはじめた

 1年浪人してなんとか滑り止めで入った大学。ダメだったものは仕方がない。気持ちを切り替えようと努力したが、田舎の公立高校でずっとのんびり過ごしていたせいか、どうしてもお嬢様大学の雰囲気になじむことができず、夏休みを過ごしていた。

 決定的な出来事は大学内で受けた差別だった。一番仲が良くて、何でも相談していた友人が、私の服装や訛りについて陰口をたたいていると知ったのだった。性格などで陰口を言われるのならまだしも、両親の家柄や出身地について侮辱するようなものだった。この出来事以来、親の地位や財力、住んでいる場所や持っているものなど、他の誰かの威光に頼って人のことを見下す人間にはなりたくない!自分で自分の人生を切り拓いて行くような人間になりたい!と強く思うようになった。

(今振り返ると、自分の強烈なコンプレックスが、何気ない言葉を差別だとゆがめただけかもしれないし、きっと私だって「滑り止めの大学だ」と差別していたのだろう。でもまだ未熟だった19歳の自分にはそれが耐えられなかった)

 9月の後期が始まる前、「私はこのままで本当にいいのか?」と自問自答。来年また受験して、別の大学に入り直そう、どうにか両親を説得しよう、と決意した。

 我が家は決して裕福なわけではない。父は地方公務員、母はパート勤めの主婦。田舎から東京の予備校の寮に入り、1年浪人もさせてもらっただけでも大変な負担だ。その上私立の大学に入れてもらって、それをやめてさらにもう一回大学を受け直したい、なんて、とても言えた義理ではなかった。

 でも、本当に自分のエゴでしかないが、どうしてもやり直したかった。私は父母に自分の想いのたけを綴った手紙を書いた。父母は生活を切り詰めて再受験を後押ししてくれた。今でもその時のことを思うと胸が熱くなる。

 それから私の再受験生活が始まった。今までの延長線上に未来はない、半年間という短い期間の受験勉強で確実に合格するためには今までと同じではいけない、それまで夜型でダラダラ過ごしていた自分から脱却しなければならないと、ライフスタイルを朝型に変えたことが、すべてのスタートだった。

 そのころはヨジラー(朝4時起き)まではいかなかったが、毎朝5時半に起床し、朝7時には、横浜の1人暮らしのアパートから、代々木にある大学受験予備校の自習室に通う生活を送るようになった。

 毎日「自分はちゃんと起きている」という自信と、計画通りにきっちりと勉強を終わらせることができた達成感が、「私だってやればできる」という前向きな気持ちを生み、勉強の継続と成果を上げるパワーとなった。

 また、お金がなかったという理由もあるが、予備校の授業を厳選した。本当に大切で価値あると感じる2コマだけ受けるように絞った。1浪時代は人気講師の授業をたくさん受けるだけで満足していたが、限られた大切な授業を集中して受講しよう!という気持ちになり、メリハリが生まれた。

 その甲斐あって、やっと志望校に合格。朝型生活はすばらしい!と実感した最初の出来事が、この大学受験だった。

希望校に受かりさえすればすべてがうまくいくと思っていた

 そうして入った志望校。これから全てがバラ色になると期待していたが、そううまくはいかなかった。ゼミでは目立った発言ができず、かといってゼミ以外の勉強の成績もパッとせず、これといった趣味もない。それにひきかえ、周囲の人たちは頭もよく、充実した日々を過ごしていて、とても輝いてみえた。

 なぜ私は彼らのようになれないのか…。また「あの人みたいになれない」という気持ちになり、悶々としたまま時間だけが過ぎていった。受験勉強で早起きに目覚めたのにもかかわらず、大学時代の4年間は早起きの必要性を感じず、惰眠をむさぼる日々。

 大学に入学するまで、私は与えられた問題と答えを徹底的に暗記し、聞かれたらすぐ答えられるような勉強ばかりしてきた。中学時代、担任教師に「IQが低い」と言われた私でも、暗記をすればテストでそこそこ良い点がとれる。この「勝ちパターン」がずっと染みついていた。

 しかし、高校までと違い、大学の勉強では自分の頭で考えることが要求される。今までは渡された地図に沿って淡々と進んでいけばよかったのに、いきなり地図を取り上げられたような気持ちになっていた。

 「自分の足で、自分の力で立ってやる!着ぐるみお嬢なんてまっぴらだ!と前の大学を飛び出したけど、自分の頭で考えられないのは私だ」

「やっぱりIQが低い私は、何をやってもダメなんだ」

 ついには、自分には存在価値がないとまで考えるようになり、拒食症や過食症になり、半分引きこもりの生活を送るようになった。今よりも10キロ以上痩せていて、マッチ棒のように細かったのにもかかわらず「私がダメ人間なのは、太っているせいかもしれない。痩せたら人生が変わるかも」と思い込み、1日にカロリーメイト1.5箱、つまり600キロカロリーしか摂らない過激なダイエットを繰り返した。その反動で、1日の必要エネルギーを大幅に超えるデニッシュ食パン一斤を15分で食べ、トイレに走って吐いたりもした。

 「太っている醜い自分を外にさらしたくない」とカーテンを閉め切り、暗い部屋から一歩もでなかったりした。実家に帰るとたくさん料理がでてきて食べ過ぎてしまうからと、わざと1年に一度しか帰らなかった。行きつけの美容院で「え?こんなに髪の毛がごっそり抜けますけど、どうしたんですか?大丈夫ですか?」と美容師さんに心配されるほど身体も心もボロボロだった。

 結局、ゼミも途中で辞めてしまった。当時ゼミの卒論を出さなくても卒業できるシステムだったので、そんな私でも何とか卒業できた。「慶應義塾大学卒業」の学位をもらえさえすればなんとかなる。それまでは、息を潜めてなんとか頑張ろう、そう自分を励まして毎日をなんとかやり過ごした。

 当時は就職氷河期のまっただ中。それでも「慶大卒」のブランドは効くものだと思い込んでいたが、成績も悪く、目立った活動もしていない私は書類すら通らなかった。今のようにネットでエントリーすることがなく、1社1社手書きでエントリーシートを書くため大量にエントリーができない時代に30社も落ちてしまい、ワタミだけが私を拾ってくれた。

 最初は興味本位で行ってみた会社説明会だったが、社長の「人は仲間や愛する家族と一緒にいて、美味しいものがあるとき、素晴らしい笑顔をする」という言葉に心を動かされた。「学生時代に落ちこぼれだった私を支えてくれたのは食を通じた笑顔だった。こんな私でも、ワタミだったら素晴らしい笑顔をもっと生み出す仕事ができるかもしれない」と思ったのだ。また、起業家精神を創業社長の近くで学べる、そんな機会はめったにないとの思いもあった。(当時のワタミはベンチャーで、社員数もまだ270人だった)

 しかし、ワタミで私は評価されなかった。仕事のできない自分を棚にあげ、権利と要求だけを主張し、「私がワタミを選んであげた」と思い上がった、傲慢社員だったのだ。「ダメな自分は大学時代でこりごり、ダメな自分を認めたら、また大学時代のように心を病んでしまう」と思い、攻撃的になることで自分を守っていたのかもしれない。

 与えられた環境がどんなものであっても、まずそこで徹底的に仕事をして認められなければ発言権は生まれないのに、大きな勘違いをしていた。会社は手を焼き、私は店長としてマネジメント経験を得ることがないまま本部に異動となり、社員が私ひとりしかいない子会社に出向となった。

 このままでは20代で窓際社員になり「ダメ社員」のレッテルを貼られてしまう!そんなのは絶対に嫌だ!そこで思い出したのが、早起きで大学受験に合格したという成功体験だった。

もう一度早起きを始めたら、人生が逆転するかもしれない。

 早起きの威力なんてすっかり忘れていた当時の私には、朝4時台に起きるのはムリだった。とはいえ、少しだけ早く出社して、仕事が始まるまえに考える時間を作ろう、と思ったのだ。

それまで朝7時起きだったのを、6時半起きに変更
8時にファストフード店到着
8時半まで、昨日の自分の仕事を振り返り、どうして怒られたのか、どうすれば良かったのかを書き出す

 上記の作業を朝の時間でコツコツと繰り返した結果、徐々に仕事もはかどり、評価されるようになってきた。

 その後さまざまな縁が重なり、外資系の戦略コンサルティング会社の資料作成部門に配属となった。そのころには朝4時起きが習慣となっていた。最初は朝5時半起きからスタートしたのだが、朝5時半起きだと、せっかく気分が乗ってきたときに出社時間になってしまい、物足りなくなったのだ。そこで生活パターンの改善や睡眠の工夫を重ね、朝4時起きで自分だけの時間を十分に確保してから出社する、というパターンを身につけた。朝9時の始業から全力スタートで仕事ができる環境を整えていくことで劇的に作業効率が上がり、仕事上でも徐々に評価されるようになった。

 会社でも結果をだしながら、趣味の飲食の資格を次々と取った。会社の許可を得て、週末限定で本業に支障がない範囲で、ワインやパン、チーズなどの教える教室も開くようになった。

本当の解決策は、自分の過去に隠れていた

 もともと私は料理が大好きだった。私は幼いころから父親の仕事の関係で転校を繰り返しており、そのせいか、内気で人見知りが激しい性格だった。そんな私がバナナケーキをつくって学校に持っていったのがきっかけで、クラスのみんなと打ち解けることができた。「口ベタで恥ずかしがり屋な私でも、料理に気持ちを載せることで人と仲良くできる」ということに気付いてから、ずっと「いつかは料理研究家になりたい」と思っていた。

 そこで朝時間で勉強を重ね、数々の飲食の資格をとってきたわけだが、いつまでも達成感がなかった。お客様にそのサービスを提供したとき、努力に見合う代金をいただく自信がなかったのだ。また、料理とお酒が好きすぎて、徹底的に食材にこだわることで原価割れを起こして全くビジネスにならなかった。このことから、あまりに好きすぎると冷静な頭でものごとを判断することはできないのだと気付いた。

 また、私が得たワインやチーズなどの食材の知識は、資格を付与した協会が出している教科書以上の価値を提供できないと思った。ワインエキスパートというソムリエに準ずる資格を持っていても、この道20年のソムリエや、シニアソムリエの前で堂々と張り合える自信もない。それでもなんとか独自路線を探れないかと考えた。「発酵」つながりで、パン、チーズ、日本酒などの資格を取得し、その合わせ技で勝てないか、など試行錯誤を続けたが、やはり、私の場合は「好き」が強すぎてうまくいかなかった。

 そこでいったん、資格所得などのスキルアップをやめて、今の、まっさらな私には何ができるのか?という、「自分の棚卸し」を、頭がスッキリしている朝の時間に始めることにした。

 幸いコンサルティング会社で図解のスキルを身につけていたので、現状をロジカルに分析することは得意だった。

 その結果分かったのは、自分が弱みと感じていたところは、見方を変えれば強みにもなる。他人のほうが優れている部分も確かにあるけれど、自分だって、他人に比べて優れたところがないわけじゃない、ということだった。

●私は器用で優秀な人たちとは、生い立ちも環境も性格も違う。つまり前提が違うのに、まるで前提が同じであるかのように、彼らのフィールドにむりやり自分をあてはめようとしていたんだ、だからずっとずっと辛かったんだ

●彼らと同じ土俵で張りあうんじゃなくて、私の得意なところで戦おう

と吹っ切ることができた。

 今まで見ないことにし、一生懸命スキルアップしたことをやめ、改めて自分を棚卸しした結果分かったのは

「私は私でしかないし、私にしかなれない」ということだった。

もう周囲をうらやむのはやめよう、自分にできることを考えていこう、と、やっと気持ちを徐々に切り替えることができるようになってきた。

 衝撃的な事実にも気付いた。「実は私は料理がそれほど好きではなかった」のだ。実際レシピ本を出版したい、料理研究家になりたいと考えていたくせに、小さじ1杯の砂糖の量の試行錯誤が面倒くさくて仕方がない。私は料理が好きなのではなく、「料理を通じた人との関わり」、つまりコミュニケーションが好きだったのだ。

 このように、腰をすえて、朝の時間に、図解で自分の過去を紐解くことで、本来の自分の価値に気付くことができると知ったのは大きな発見だった。

 自分が生きるための武器は、他の人と比べることでは見つからない。自分の過去に全て答えはあるのだ。人と比べすぎたり、前を向きすぎて、インプットばかり続けていたから、いつまでたっても見えなかったのだ。

 思えば、「違う自分になってから、周囲を助けよう」と思って、何年も何年も勉強を続けていた。そして勉強を続ければ続けるほど、上にが上がいることを知り、ますます自信をなくすスパイラルにはまっていた。

 「今、へっぽこで、どうしようもなくて、ダメダメな自分の良さを見つけて、その良さで周囲を助ける」それこそが本質なのだ。

 未来は不確定でも、過去は裏切らない。めちゃくちゃ頑張って努力してきた努力をないがしろにして、どうして違う自分になろうとするのか。

 すごい人のすごい姿に、「うっ」となったら、そんなときこそ自分のやってきた過去、歴史を振り返るのだ。

 過去を振り返るのは時には辛いし、見たくなかった事実を見せつけられる。人を見下したくない!と思っている自分が一番見下していたり、お嬢様大嫌い!といっていた自分が人をジャッジしていたりと、ドロドロした自分の本性に気付くこともあった。でも、ダメな自分に気付き、「じゃあどうするか?」「今の自分の武器は何か?」を探ること、そこにしか今後に繋がる根本的な解決策はないのだ。嫌な気持ちにフタをしたり、見過ごすのではなく、見据えるのだ。

 この作業は夜やるとウツウツとしてしまうが、朝なら、前向きな気持ちで未来に繋がるアイディアが浮かぶはずだし、自分も朝、振り返ることで人生を変えることができた。

そして私は、「朝活」を世に広める活動をはじめた

 この思いから、2008年、私は長年お世話になったコンサルティング会社を退職した。社内の数百人に朝の良さを知ってもらうのではなく、数十万人、数百万人単位の人たちに、私の経験を伝えたかったからだ。

 お陰様で2009年に出版した始めての本『「朝4時起き」で、すべてがうまく回り出す!』(マガジンハウス)は3万部でベストセラーと言われるビジネス書界では異例の12万部となり、文庫、ムックもでた。「朝活の第一人者」とも呼ばれるようになった。

「この本は血のにおいがする」と、ある人に言われたことがある。血、というと物騒だが、「池田さんが戦って、たくさん傷を負って血を流してきたその記録だ」ということだそうだ。

 ノウハウ本にもかかわらず、「人生が変わった」「生きることを諦めていたのに希望をもらった」という感想をいただくのは、ダメな自分から目をそらさずに生きることの大切さを感じ取っていただけたからではないかと思う。

 私は、朝型が絶対的に正しい、というつもりはない。遺伝的に決まっていて、生まれながらにして夜型だという人もいると聞く。「私は夜型のままがいいんだ」という方を無理に朝型に引きずり込むつもりもない。

 ただ、もし夜型の方の中で、仕事が終わらない、残業が多すぎる、夜の断れない付き合いが多い、1日にカタをつけないと気が済まない、将来が不安で眠れない、頑張っても頑張っても自分のダメさに落ち込む、などの理由で、「望まない夜更かし」をしている方がいるのであれば、試しに朝型生活を始めてみませんか?と提案しているのだ。

 私自身、もう朝なんて一生来ないのではないか、と思うくらいの絶望を感じたとき、いつも早起きが心の支えになってくれた。どんなに辛い夜でもお陽様は必ず昇ってきて、よし、頑張ろう!と思える朝があったことが救いだった。

 だからこそ、体験から自信を持って言える。「朝型生活が人生を変える」と。今、日本の自殺者は3万人を超えると言われている。望まない夜更かしをする人が減れば、うつ病患者や自殺者は減ると、私は本気で信じている。

他人ではなく、過去の自分と比べることができたとき、人生はすべてがうまく回りはじめる

 未来は、過去の積み重ねだ。頑張ってもうまくいかない、と悩む人は、積み重ねてきた自身の歴史をないがしろにして、一足飛びに「なにか違う自分」になろうとしているのではないだろうか。

 違う自分を探すより、今の自分を武器に換え、物事に取り組む方法を私は伝えたい。現状を打破する鍵は過去に眠っているのだ。自分には何もないと思っても、積み重ねてきた経験は、あなただけのものだ。

 ふがいない自分を責め、憂鬱な現状を嘆き、「なんでこうなるの?」と叫びたくなるような出来事があったとしても、そこから楽しみを見つけつつ前を向いて這い上がり、進んでいこう。過去の挫折や失敗は、あなたがそこから這い上がるプロセスを経て、ますます光り輝くのだ。

「これだけ自分は頑張ってきたんだから、きっとこれからも大丈夫」と思えるようになったとき、きっと人生はすべてがうまく回りはじめる。私はそう信じている。

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