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Kくんとの別れから再び、夏来にけらし

7月、梅雨も折り返した頃
今日は長雨のはざま、穏やかな青空が広がる静寂の昼下がり、ベランダの窓を開けてわずかに吹く風をまとう。
半月経てば長雨も去り、夏本番の到来だろうか。

夏が来る──

夏の足音とともに蘇る昨年の記憶、半年間付き合った彼との別れの日のこと。



Kくんとの出会いはおととし12月頭。
今日とは真逆の冷たい空気の時季、マッチングアプリから始まった。
同い年、同じ県出身、大学では軽音楽部で楽器を弾いていて、くるりやceroみたいな邦楽が好き、海外経験あり。
多くの共通点を持った彼に対して、初めて会った日からどことなく昔からの友だちのような感覚を抱きながらよしなしごとを語り合い、その日のうちに次に会う予定を立てて解散した。

2回目のデートでは、以前より少しだけ踏み切った恋愛話をした。
前の恋人と別れた経緯や、マッチングアプリを始めた理由。

「何気なく作った、ピーマンと肉をオイスターソースで炒めた料理が美味しかったんです」

彼が理由を語り始めた。

「すごく美味しくて誰かに共有したかったんですけど、相手がいなくて。
美味しい料理が作れた時、分かち合える人が隣にいたらなぁと思って。」

すごく共感した。
素朴な幸せをおすそ分けして、その幸せを同じようにじんわり感じてくれる人がいてほしい。
彼のその話が、私がKくんに惹かれた決め手のひとつかもしれない。


3回目は12月25日、クリスマス当日だった。
赤や緑や黄色やらのイルミネーションで彩られた街をぶらぶら歩いたのち、夜ごはんはあえて小さな割烹屋さんでしっぽりとお酒をたしなんだ。
とはいえすっかりクリスマス気分に浮かれていた私は、フライドチキン代わりに手羽元の唐揚げを注文し、Kくんとの聖なるひと時をがぶりと噛みしめた。

その後締めの一杯にと入ったカフェでは、密かに用意していたクリスマスプレゼントをいつ渡そうかと、気が気ではなかった。
地元で評判のコーヒーショップの豆と焼菓子。
コーヒー好きの彼のために、普段コーヒーを口にしない私なりにじっくりと吟味して選んだ品。
どのタイミングで渡そうか、そもそも彼がプレゼントを用意していなかったら逆に困らせてしまうのではないか…
それまで弾んでいた会話も、今ばかりは心ここにあらず。
ぬるくなった紅茶のカップを何度も口に運びながら、その機会をうかがっていた。

会話がひと段落して、彼が席を立った。今しかない。
数分して彼が戻って来た瞬間、「じゃーん!クリスマスプレゼント!」と、陽気な効果音を自演しながら贈り物の袋を差し出した。
どんな反応が返ってくるのか、内心どきどきで1秒の間も耐えられなかった。

「え、うそ!めっちゃ嬉しいんやけど!」
彼の第一声はそんな不安を一瞬で払拭してくれた。
袋の中身を見る彼の喜ぶ表情を見つめ、あぁ勇気を出して良かったと肩を撫でおろした。

「実は僕もプレゼント用意しててん」
ひととおり私からのプレゼントを手に取った後、そう言って包装紙に包まれた箱を差し出してきた。
ちょっと期待はしていたものの、いざ渡されるとやっぱり嬉しいものだ。
彼に負けないくらい驚きと喜びをあらわにして、包装紙を丁重にはがしていった。

箱の中身は、有名な紅茶ブランドのクリスマス限定フレーバーだった。
カフェに行くといつも紅茶ばかり頼んでいた私のことを見てくれていたんだな。
クリスマスムードを一層盛り上げてくれる真っ赤なパッケージにうっとり。

コーヒーと紅茶の交換って似たもの同士やね、と笑いながらカフェをあとにした。

駅へ向かう道、はっきりとは覚えていないが恐らく、”今日は街の若者たちが一層にぎやかやね”とか”年末年始はどう過ごすの”とか、そんなことを話していただろう。
人が入り混じる横断歩道を渡り始めて、ふと会話が途切れた。

「付き合ってくれませんか」

あまりに不意な彼の一言に、歩きながらばっと彼の顔を見た。
残念ながらマスクをつけていた彼の表情はよく分からかなったが、確かに穏やかな目で私を見つめてくれていた。

「あはは、お願いします」
そのまま歩き続け、照れ隠しに笑いつつも、応えた。
吐く息白い冬の夜、Kくんがかじかんだ私の手を握り、交際が始まった。


その後の4か月ほどは、それはそれは幸せだった。
多くは自宅に入りびたってTVゲームをしたり、近所のお気に入りの定食屋さんで晩ごはんを食べた後スーパーで食後のデザートを吟味したり、地元の商業施設で本屋や無印良品を徘徊するような、至って素朴な過ごし方をしていた。
一人でもできる過ごし方だったが、彼が隣にいるだけで、それはそれは。

彼の”僕”という一人称と穏やかな口調が好き、
知性的なのに時折見せる茶目っ気が好き、
朝が苦手でずっと布団にくるまっているところも愛おしい、
これ以上言語化するのが難しいくらい、理屈じゃなく愛していた。
初めてこの人と結婚したい、と意識した人だった。


ただひとつ、私は少しだけ物足りなかった。会う頻度に関してだ。
Kくんは外資系のベンチャー企業でシステムエンジニアをしており、とても勉強熱心な人だった。
通信大学で数学を履修、日課のオンライン英会話教室、金曜夜にはIELTS(英語技能試験)の教室に通学、その教室の宿題…と平日休日問わず勉強に勤しんでいた。
当たり前だが1日は24時間しかない、限られた時間の中でこれらの課題を全うするには、貴重な週末を彼女とのデートで潰すわけにはいかなかったようだ。

最初の1か月程は毎週末会ってくれていたが、2月に入って以降、早くもそのルーティンは崩れた。
確か今週末は予定がないと言っていたなと思い出し、”予定がなかったら週末会いたいな”と彼にLINEを送った。
ところが、返ってきた返事は予想斜め上のものだった。

「ごめん、予定は空いてるけどちょっと厳しいかも」

予定がなくても会えないことがあるのかと、歴代の元彼からは言われたことのない断られ方に軽く驚愕してしまった。
まぁ日々勉強に追われてるもんな、自分の時間は大事にしてほしいしね…
「OK、また空いてるときに会おうね」

といった具合で、彼宅まで片道1時間という決して遠くはない距離の付き合いだったが、2、3週間に一度しか会うことができなかった。



5月、転機は突然訪れた。

「いきなりやけど、来週から1か月デンマークに出張に行くことになったわ」

なんでも、急遽デンマーク支社で長期の仕事が入ったそう。
その時もすでに数週間彼に会っていなかったので、さすがに更に1か月会えないのは寂しすぎる…と思い、出国前の夜だけ会う時間を作ってもらった。

当初は街で夜ごはんだけ食べて解散予定だったが、実際に会うとやはり寂しい気持ちになってしまうものだ。
彼に鬱陶しがられないか不安になりながらも、「やっぱり泊まっていい?」と帰り際に思い切って聞いた。

「いいけどえらい急やな」
「だって1か月会えへんのやで?寂しいやん!」
「いや、数か月会えへんのやったら寂しいけど、1か月くらいなんともないわ。というか、」

次のKくんの返答が、私の恋愛史上五本の指に入る衝撃発言だった。


「僕は今まで一度も寂しいと思ったことない」


僕は、今まで、
一度も、
一度も、
一度も。
寂しいと思ったことが、ない。

すごくショックだった。確かにこれまでのやり取りで一度も「僕も寂しい」と言われたことがなかったので薄々気づいてはいたが、いざ言葉にされてしまうとすごい衝撃だ。

しかし健気だった私は寸分もその動揺を見せることなく、
「え~そんな寂しいこと言わんといてな~!」
と空元気を100%ふり絞り、その場を明るく潜り抜けた。

結局Kくんの家に泊まり、その後彼はデンマークへと旅立った。
「そうだ、来月末は半年記念日やから美味しいごはんでも食べに行こうね」
「いいね、行こう行こう」
今日が彼との最後の日とはつゆ知らず、帰国後のデートの約束を交わした。


会う頻度は少なかったものの、意外にもLINEのやり取りは毎日続いていた。
デンマークに着いてからも、その日の食事や買い物の写真が送られてきて近況を連絡しあっていた。
変化があったのは、1週間程経った時だった。

「僕転職活動始めるかもしれんわ」
その日Kくんから来たLINEは唐突で、いつにもなく深刻だった。

どうしたのと聞くと、ヨーロッパの支社に勤める彼と同じ職種の社員が解雇にあったとのこと。
外資系もベンチャーも雇用の面はシビアだと何となくイメージにはあったが、どうやら実際そうみたいだ。

「僕もいつ解雇されるか分からん状況やけど、勉強も山積みやし余裕がなくなってきた…」
会社への不信感と解雇の不安、転職活動と勉強の両立。
彼のキャパシティが急激にオーバーしかけてしまっているのが、文面からでも容易くうかがえた。

他人が悩んでいる時、どう声をかけるのが正解なんだろう。
解決策をアドバイスする人もいれば、話を聞きただただ共感する人、飲みに行って発散しようよと気を紛らわせてくれる人、多種多様だ。

「勉強も大事やと思うけど、帰国したら転職活動に力入れてみた方が気持ち的に楽じゃないかな?」
とにかく辛い現状を打破してほしかった私は”解決策をアドバイスする”を選択した。
しかし、これが不正解だったのか、それ以降彼からのLINEが返ってこなくなった。

最初は出張中なのもあるし返信の余裕がないのだろうと、何も疑っていなかった。
しかし、その後待てど暮らせど返事が来ないまま、5日が経った。

ひょっとして私のアドバイスが鬱陶しかったのか?
それとも単に余裕がなくて返信できないのか?
さすがに心配になったので、「元気にしてる?」とLINEを送った。
数日内に「元気にしてるよ~」とだけ返事があった。

「ならよかった、ひょっとしてこないだ言ったこと怒ってる?」

10日経っても返事が来なかった。
約束の記念日まであと3日。

ああこれはもうダメなやつだと、他人の気持ちを汲み取るのが下手くそな私もとうに気づいていた。

「記念日に会う約束してたけど、会えそうかな?」

久しぶりに返って来た返信は、やはり
「ごめん厳しそうやわ」
だった。
続いて、私のアドバイスに怒ったわけではないし正論だと思うけど、彼自身のモチベーションが転職活動に追い付いていない、と返答があった。

めちゃくちゃ悲しくて、家で一人泣いた。
どうしようもないほど辛いけど、もうKくんの気持ちを再び私に向かせることは決してできないと悟ってしまっていた。


そうなるとあとはせめて最後に直接会ってちゃんと別れ話をしたい。
「じゃあ7月のこの日は会える?」
と、こちらから会う日を持ち掛けた。
「ごめん、その日も無理やわ」
「じゃあこの日は?」
「OK、その日で」
その日はちょうど近くで友だちとお茶をする予定があったので、その前にすっきり決着をつけておこうと考えた。


7月、ついにその日が来た。
この日も梅雨明け前の珍しく晴れた日だった。

私の家に唯一置いてあったKくんの私物、部屋着を紙袋に入れる。
初めてのお泊りの日に一緒にユニクロに買いに行った冬用のスウェットだ。
何をしたって悲しさが増すだけなのに、それでもその服を少しの間見つめて抱きしめた。
名残惜しさを噛みしめてしまう前にぱっと離して紙袋に閉まい、季節外れの厚手の服を片手に家を出た。

待ち合わせ場所は、たびたび二人で買い物や食事を楽しんでいた商業施設。
私は集合時間の30分前に駅に着き、口紅を塗りなおしたりお気に入りのオードパルファムを首筋にひと吹きかけたり、一番素敵な状態でお別れしてやろうと最後の身支度に力を入れていた。
10分前には待ち合わせ場所に向かい、彼を待った。

約束の時間ちょうど、Kくんが来た。
2か月ぶりに会う彼は、半袖の白いTシャツで心なしか日焼けしていた。
最後に会った時はやっと薄手の長袖に衣替えしたばかりで、その頃一緒にアウトレットに行った際に買っていた夏服姿の彼が早く見たいなぁ、なんて思っていたのに、やっと見れた彼の夏服はこれが最初で最後だなんて。

「久しぶり。大変やったね」
「いやー大変やったわ」

気まずい状況になった時って、会って最初の一言目が大事だよな。
私は出張中の彼の連絡無精や記念日をドタキャンされたことに対する怒りや悲しさを見せることなく、あくまで平静を装った。
どうあがいても今日でおしまいなのだから、最後まで穏やかにいきたかった。

そこから施設内のカフェに着くまでに、Kくんは近況を語った。
帰国後すぐに日本支社の撤退を通達されて、今月末に解雇されることが決まったこと
転職活動を始めたが、なかなか希望の企業から内定がもらえないこと
次の転職先は、恐らく東京に転勤するしかないということ

解雇の話は衝撃的だったが、それと同時にいつも手を繋いで乗っていたエスカレーターでやはり手を繋いでくれなかったことがカフェまでの道中ずっと辛かった。


カフェに着いてからも、しばらく差し障りない会話が続いた。
仕事運がしいたけ占いの予言通りになったとか、オンライン英会話教室の先生と音信不通になったとか、どうでもいい話ばかりが広がり、いつまで経っても核心をつく話にならなかった。
いよいよしいたけ占いの話も尽きたんだろう、会話が途切れた。
恐れていた沈黙が不意に訪れたもので、ふいとKくんの手首に視線を下す。
よく見ると腕時計の形に沿ってやはり少し日焼けしている。

「…しばらく会わない間にちょっと焼けたね。海にでも行った?」
「行ってないよ、毎年夏はこのくらい焼けるんよ」
「まぁ男の人って日焼け止め塗らんもんね」
「そうそう」

……。

「もう私への気持ちはなくなったってことでいいんかな?」

いつまで経っても話が始まらないので、ついに私から切り出した。
本当はこんな残酷な話、私からしたくなかったのに。

さぁ、ばっさり切ってくれるといい。
いさぎよく受け止めるから。

ところが、ここからが長かった。
うーんと彼がうなった後、そのままうつむいて何もしゃべらなくなった。

今更結論なんて変わらないだろうに、何故か彼はいつまで経ってもうんともすんとも言わなかった。
しばらくうつむいたり、目をつぶったり、息を大きく吸ったりして、何分も時が流れていった。

10分くらい経った頃、ついに彼が口を開いた。
「……そう、やな…………」

やっと言った。
彼なりの優しさなのか、さらにこう続けた。

「あなたは全然怒らなくてよくできた人で、何も悪くない。
ただただ僕が余裕がなくなっただけやから。
転職も東京でするし、やっぱり厳しくて」

一見誉め言葉のように聞こえるが、それだけ良い人だと思っているにも関わらず恋愛感情が無くなってしまったのって、私からしたらめちゃくちゃ悲しいんだけどな。
という心境は心の中に閉まっておいた。

「転職活動が終わって落ち着くまで待つし、東京に引っ越しても全然かまわないんやけど、それでも待ってたらだめ?」
いさぎよく別れを受け入れるつもりだったのに、いざ話しているとつい食い下がってしまった。

こんな問いかけをしても無駄なのだ。
最初からずっと二人の間に温度差があるのは分かっていた。
私の方が愛しすぎてしまっていたし、彼の方はそこまで私のことを好きではなかったのだ。
仕事のせいだとか遠距離が何だとか言ってるけど、そうじゃない。
結局想いが足りなかっただけの話だ。


またしばしの間沈黙が続いた。
うつむいていた彼がちらっと私の方を見て目が合った。
叱られた時の犬のようにすぐ気まずそうに目をそらして、そこからはずっと目をつむって黙っていた。

結論は決まっているはずなのに一体何故「別れてください」の一言が言えないのか。
今になっても不思議で仕方がない。

彼が黙っている間、私は視線で彼を威圧せぬよう、氷が溶け切って水滴だらけのアイスティーのカップを拭いたり、彼の遥か後方にあるよく分からない展示会なんかを眺めていた。
人生で過ごした10分間の中でもなかなか上位の長い体感時間だったと思う。

「…うん、難しいかな」
この答えが返ってくるまでも10分くらいはかかっただろう。

しかし、これでは終わらない。
彼の口から明確に「別れてほしい」と言われないと終われないのである。
この一言だけは、意地でも私からは言わない。
だって私は絶対に別れたくなんかないのだから。

この数十分で耐久戦にはすっかり慣れた、あとはひたすら彼の止めの一言を待つのみだ。

かたくなに口を開かない私を見て彼も察してくれたのだろう。
また10分ほど沈黙を続けたあと、最後の大きな深呼吸をしてついにKくんが放った。


「終わりにしてください」


分かりました、今までありがとうね。

お互いに半年間の感謝の意を述べて、そこからは緊張の糸も切れて、何事もなかったかのように再びとりとめもない雑談を始めた。
あと数口分だけ残ったアイスティーが飲めなかった、これを飲みきったらKくんとの時間が終わってしまうから。
自分から最後の別れなんて言い出せなかったから、いつまでもぬるくなったアイスティーを大事に残して、このままいつもみたいにカフェに行って、そのままずっと一緒にいようよと、叶わないことを願っていた。

しかしもちろんそうはいかない。
数時間経った後、ついにKくんが「そろそろ行こうか」と言った。

ああ、今度こそ本当に終わりなのね。
別れを実感しないよう「そうやね、私もこの後友だちと会うから」とさっぱり切りあげた。

「そうや、これ返さんと」
彼が鞄から取り出したのは、私が彼の家に置いていた化粧水やヘアオイル一式だった。

そうだすっかり忘れてた。
お互い頼んではいなかったけど、やっぱりあなたも持ってきていたのね、私の私物。

「私もこれ、部屋着返すね」
「あ、持ってきてくれたんやね。ありがとう」

お互いの家に置いていた私物の返還を終えた。
同じ物々交換のはずなのに、クリスマスのプレゼント交換とはかけ離れて悲しいものとなった。

結局飲みきることのなかったアイスティーを捨てて、二人カフェを後にした。
外に出ると、からっと晴れた空が広がっていた。
終わりを迎えるのにちょうどいい、雨もなければ強い日差しもない、風が少し吹くだけの天気。

「じゃあ、健康には気を付けてね。転職活動上手くいきますように」
「ありがとう、お互い元気でね」

相変わらずマスクをしていて表情はよく分からなかったが、やっぱり優しい目をしているなぁと思った。
私はとびっきりの笑顔で手を振り、彼に背を向けた。
良かった、最後まで私、Kくんにとって”良い人”であれたと思う。

友達との待ち合わせ場所に移動すべく、エスカレーターに乗った。
今までなら解散する時に振り返ると、Kくんはいつも私の姿が見えなくなるまで見守ってくれていた。
今振り返ったら、彼は見てくれているのだろうか?
振り返りたくなる気持ちを必死に抑えて、そのまま地下へと下った。

本当にKくんとの別れを終えてしまった。
これは今生の別れで、今後一切大好きな彼と会うことはないのだ。


待ち合わせ場所のカフェに着くと、”おつかれ”と友だち3人が言ってくれた。
今日Kくんと話をつけることは事前に伝えていた。

「やっぱだめやったわ」

そう言い終わる前に涙がぶわっとあふれてきて、嗚咽して言葉が出なくなった。
人目をはばかることなく、涙も嗚咽も止まらなかった。

その後の記憶はあまりないのだが、別れ話の経緯を一通り話した後は、涙をこらえるのに必死で友だちの雑談は一切入ってこなかった。

カフェでお茶を終えた後は、心優しい友だちが飲みに誘ってくれ、一人では辛いだろうからとそのまま家に泊めてくれた。
おかげで案外夜は泣くことなく、昼間の天気のごとくからっとしゃべくりしていた。

翌日家に帰って、やっぱりまた少し泣いた。
夏服を着たKくんの姿を思い出しながら。



──そんな夏の日を思い出し、しばしベランダに出て深呼吸する。
来年もまたこうして、夏の空気を感じては感傷的になってしまうのだろうか。
できれば来年の夏はKくんのことを思い出すことなく、新しい恋人と浴衣でお祭りなんて行きたいものだ。

でも正直、この回顧はなんだか悪くないな、とも思う。
とてつもなく切ない思い出である前に、とても大切で優しい半年間だったから。
優しい気持ちにさせてくれて本当にありがとう。




ここまで長文を読んでくださったあなたに後日エピソードを。
別れて数日後、ふとLINEのメッセージ一覧を見ると、Kくんのアイコン画像が変わっていた。
開いてみると、スタバのコーヒーを片手に海辺で燦々と太陽を浴びているKくんの姿が。
時期からして、デンマーク出張から帰国後、別れ話をするまでの間の期間だろう。
当時のLINEのやり取りからして憔悴しきってると思ってたのに、私のことを差し置いてちゃっかり海辺でチルしていたのだ。

私の「海にでも行った?」という予想は的中していた。
「海には行ってないよ」という嘘は一体なんだったのか。
最後に判明したしょうもない嘘におセンチな気持ちを台無しにされた。

まぁ思ったより元気そうで良かったさ、きっと今頃東京で楽しくやっていると思う。
今年の夏も、元気にやろうぜ!

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