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虚子の娘たち
正木ゆう子が「現代秀句」の高木晴子の句を紹介するところでつぎのように書いている。
「作者(高木晴子)は高浜虚子の五女である。虚子に関しては、その子であるとか孫であるとかを常に記す気になるのは、虚子が俳句にとって大きな存在だったからというよりは、星野立子にしても晴子にしても、作風に虚子の影響があまりにも顕著に見られるからである。一口にいえば素直さであるが、素直な句を作ることは人が思うほどにたやすいことではない。それは何か賜物のようなものであり、それが虚子の息女たちの句にはあるのだ」
おもしろいことに、その「賜物」が虚子にあるのかというと、どうもあやしい気がする。つづけて正木は高木晴子の句をあげている。
去年今年我れには紐のやうなもの
さて、これは正木の指摘を待つまでもなく虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」のパロディーにはちがいないが、虚子の句よりもはるかに「素直」ではないだろうか。ここには「我れには」という謙虚な言葉が挿入されている。虚子の句は、まるで万人の真理であるかのように告げられ、なにか肩肘張った偉そうな主張めいたものとなっている(まあ明治風といえば明治風)。だからこそ立派な作家先生たちが賛同したわけだ。ついでにいうと、わたしは虚子のこの句を最初読んだときなんか「ダサイ」と思ったし、今読んでもやっぱり押し付けがましくてなじめない。人々が共感した時代背景のようなものがなにかあったのかもしれないが、その詮索はしない。ようするに仮にも「素直」とはいいがたいのに、晴子の句はそのパロディーにもかかわらずパロディー臭さがなくずっとすっきりして「素直」なのだ。パロディーというよりも、和歌にいう返歌の作法「いなし」に似ているのかもしれない。往々にして和歌でもこの「返歌」(王朝時代ならたいていは女性の歌)のほうがすぐれている、というのは、もうひとつ考えなければならないことにはちがいないが、これもいまは置いておく。
虚子は、芭蕉の「物いへば唇寒し秋の風」について、「俳句はかく解しかく味わう」のなかでつぎのように評している。
「こういう俳句を作ることが俳句の正道であるという事はいえない。俳句はやはり古池の句のごとく実情実景をそのままに叙するという事を正道とすべきである。この句のように道徳的の寓意を含んだ句のごときは、たまにあってもいいけれどもむしろ脇道に外れたものである」。
つまり、虚子は脇道を歩くことが多々あったけれど、娘たちは「素直」に正道を歩いたということだろうか。この「素直」にはやはり謙虚という意味合いが含まれていると思う。
ちなみに、正木が紹介している高木晴子の句は、
初蝶は影をだいじにして舞へり
とても美しい陰翳に満ちた句だ。
追記。またこんなのもある。
考えれば女で大人去年今年
要するに虚子の句は説教臭いのだ。つまり「道徳的の寓意を含んだ句」。この手の句は芭蕉の「唇寒し」がそうであるように、諺化しがちとなる。「犬も歩けば棒に当たる」がある場合の事実を表しているとしても、あくまでその「ある場合」がぽつんと落ちて来るときだけだ。虚子のこの句も、そういうこともあるよね、というだけのことにすぎない。池田澄子の真意はわからないが、これはきっとパロディをつくっておかなくちゃ、と思ったのではないだろうか。そしてこのパロディに協賛するのが女性たちだというのも格別におもしろい。
虚子のおかげか、はたまたそれを持ち上げた人々のせいか、「去年今年」という季語がほとんどパロディ以外に使えない、「制詞(せいのことば)」としてタブー化してしまった。
去年今年震えるスーパーストリング
ちなみに、この「去年今年」という感覚は、旧年立春に由来するものだろう。和歌にも用例がいくつもある。