評価システムと「静かな退職」
書籍『ヒューマノクラシー』の章立てに沿って、官僚主義的なエピソードや、本の記載内容の背景などを紹介しています。
第9章 健全な実力主義
人を評価するということ
「ヒューマノクラシー」の根本には、すべての人が持てる能力をいかんなく発揮できる組織に対する想いや願いがあります。脱官僚主義が旗印として掲げられているため、固定化した特定の上司が部下を評価することは推奨されません。本書では、その代替策として、360度などの複数の評価者による評価システムの運用が紹介されています。しかし、それで本当に、すべての人が持てる能力をいかんなく発揮できるようになるかというのには疑問符がつきます。
上司を評価するといっても、よほどの場合でない限り、忖度が働きます。同僚が評価者であると、普段のコミュニケーションがぎこちなくなってしまったり、あるいは、長くいて既得権を持っている人に高評価が集まってしまったりということになります。場合によっては、そこで、究極の「好き嫌いの投票」が行われるのかもしれません。これで本当に個人の能力が測れるといえるのでしょうか?しかも、評価にはエビデンスが必要ですので、結局は過去発揮されたものにしか評価者の関心が集まりません。
いま話題の「静かな退職」
能力いかんに関わらず、会社のカルチャーとの適合度など、組織適応力が高い人が昇進していくというのがサラリーマン社会の暗黙の掟です。その一方で、組織の中で高い評価を得ることができなかった人が、組織の外で力を発揮している場合があります。それがいま、「静かな退職」という形になって顕在化してきているのかもしれません。会社での仕事は、それこそクビにならない程度にまでミニマムにした働き方のことをそのように呼びます。ワークライフバランスを追求している場合もありますが、人によっては、会社以外の仕事、つまり副業や社会活動の分野で本業以上の活躍をしている場合もあります。本業に対するモチベーションが上がらないために、持てる能力やエネルギーを別の分野にぶつけているのだともいえます。
その人が持つ高い能力を会社が引き出せなかった、あるいは引き出せる制度を持っていなかったことを問題視する見方もあるでしょう。しかし、会社に最小限しか貢献しない分、社会にはその何倍も貢献しているのだったら、私個人的には、本人にとっても社会にとっても、その方がハッピーなのだろうと思います。
副業を禁じている会社もまだまだ多いようですが、それは「静かな退職」を助長しているような気がしてなりません。副業がオープンになれば、個人が起業したサービスを会社の中で事業化できる可能性が生まれます。起業した個人にしてみれば資金調達やスケールメリットを生かせるチャンスになります。
社内の人的リソースを「評価」というメソッドを使ってランク付けするために会社は多大なコストを払っています。評価制度の仕組みづくり、面接トレーニング、そして面談にかかる時間的コストなどがそれにあたります。それはそれでいいのですが、その前に、能力は積極的に「解放」した方が、会社にとっても、何倍もメリットがあると思います。