ミドルマネジメントが楽になる組織
先日、ビジネススクール時代の同期生があるシンクタンクの所長に就任しました。彼のような人物が旗を振る組織が出す情報はすごく楽しみだし、それ以上に、彼のそのポジションでの成功を期待せずにはおられません。
彼は、事業会社のトップだった頃、毎日「○○(彼の苗字)の考え」というメールを全社員に発信していました。彼の仕事への向き合い方や、アウトプットに対する価値基準などが、彼一人称の言葉で語られた内容でした。
正直、その話を彼から聞いて、サンプルを見せてもらった時に、私はちょっと重いな、と感じました。なぜなら、トップの考えは組織の行動規範に大きな影響を与えます。ということは、それを読んでいないと、その組織で「いい仕事」は絶対に(!)できない訳で、それを毎日、ずっと読み続けるのも大変だな、と思いました。
私はかつて、朝礼と夕礼は毎日確実に実施する組織に所属していたことがあります。朝は9時から平均で30分ほど、夕方は17時になると皆が業務をストップし、夕礼に参加しました。朝礼は、日によって10時半くらいまで延びることもあったので、皆、交代で電話を取りながらやっていました。そういった慌ただしく、落ち着かない状況になると、早く終わったらいいのにという空気にもなりました。17時に全員業務をストップすることなどありえないなど、会議体に異を唱えるメンバーもいました。
私は当時朝礼・夕礼を仕切っていた部長のすぐ下、つまり、ミドルマネジメントのポジションでしたが、実は、すべてがとても「楽」でした。というもの、毎日、それだけ濃密なコミュニケーションに浸っていると価値基準が揃ってきて、メンバーの考え方や行動にブレがなくなってきていたからです。当時、とった行動に問題があるとかの理由で、「なぜこんなことをしたんだい?」と部下に質問することはほとんどありませんでした。また、「これってどうしたらいいですか?指示がないので分かりません」といった指示待ち人間もいませんでした。皆が、自分のやるべきことを十分に理解していたように思います。私もプレイングマネージャーとしての業務を比較的スイスイこなせていました。
「これ分かりません。聞いていないです」「指示がないと動けません」という部下に対して、いちいち対応を取らないといけないミドルマネジメントはとても大変です。「なんでそんなことになるの?どういう判断があったか聞かせてもらえます?」といった個別対応に追われてばかりだと、本来の自分の業務に割く時間が無くなってきます。特にコロナ以降、リモートが増えたということもあり、チーム全員が顔を合わす機会は減っています。コミュニケーションの量そのものが著しく低下しているようにも思えます。コミュニケーションだけが目的なら、オンラインツールなどである程度カバーできますが、効果的に使いこなせている組織は僅かのように思います。ミドルマネジメントは大変という認識が広がり、誰もやりたがらない傾向が蔓延していますが、その原因に占める大きな要素がこれらにあるように思います。
私は、一概に、朝礼・夕礼をやらなくなったからミドルマネジメントがしんどくなったのだと思っています。価値基準が明確でないゆえに、ミドルマネジメントが個別対応やクレーム処理に追われることが多くなったと思っています。朝礼や夕礼のためにメンバーを集め、業務を止めるのはナンセンスと思われるかもしれませんが、それ以上に、想定外のインシデントが業務効率を落としていると思っています。さらに、個別対応が必要な際、マネージャーの手が回らないとなると退職が増えます。退職が増えると、退職~採用~新人の受け入れ対応といった、付加業務の無限ループが待ち受けています。
しかし、朝礼・夕礼を復活させようとするのは簡単ではありません。その発言をした途端、上からも下からも総攻撃に遭うことは必至です。それに対し、説得して回るというのもなかなか常人の出来ることではありません。
ところで、こう書くと、「価値観を揃える」ことが重要だと受け取る人がいます。私が言いたいことはまったくそうではありません。むしろ、そういう考えに、私は強い嫌悪感を持っています。しかも、「価値観」という言葉は、かなり際どい日本語だと思っています。それを英語に訳すと、「sense of value」というそうですが、“価値の感覚”?—欧米の人たちがこんな抽象的な言い方をビジネスに持ち込むのか、信じられません。少なくとも、「価値観」をビジネスの場に持ち込んではいけないと思っています。
つまり、「価値観を揃える」となると、トップやチームリーダーの持つ価値観に異を唱える人は、極端な話、そこには居れなくなってきます。みんなが同じ価値観を有していることがよいとされる組織は多様性を認めない組織でもあります。そんなファシストの集まりのような組織は、あらゆる意味で、とても危険です。
組織において、「価値に対する感覚値を揃えていくこと」を示す言葉は、私は、「quality of service」ではないかと思っています。「価値」=「サービスの質」という意味です。そこには、組織のアウトプットを顧客がどのように評価するかという視点があります。そういう「価値基準」をチーム内で揃えていくことが大切なのだと思っています。
「価値観」という言葉を使いたいなら、それは、人由来の「価値観」ではなく、チームの成果が他人によってどのように価値付けられるかという意味での「価値の感覚」なのだと思います。「いい仕事」とは誰が見てもいい仕事で、「よくない仕事」とは誰の目にもよくない仕事、というわけです。
彼が社内メールでやろうとしていたことは、彼の「価値観」の押し付けでなく、「quality of service」の調整、目線合わせであったと思うのです。