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【小説】人生オワタ俺はやり直せないらしい


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1 十倉唯男




 とあるマンションの一室で十倉唯男とくらただおはニヤついていた。
 パソコンの左で口を開けるチョコレート菓子の大きな袋に手を入れる。チョコレート菓子の包装を破り、口に入れる。
 
 唯男は各反応から厳選し、レスする。エンターを2回叩く。
 唯男の打った文面が表示される。


≫≫25 世界王子さん 24/02/07 JPt20:23:09

去年は会社のおなごたちからチョコ100個以上もらった。
モテすぎて困る。
オマエらに恵んでやろうか?


 すぐさま自演乙確定だの、仕事上の付き合いを真に受けんなキモ玉子たまごだの、冷ややかな文言が並んだ。
 
 唯男はコーラを飲み、げっぷする。
 イガイガする喉をおじさん臭く鳴らし、掲示板の民にいつものキザキャラを演じて別れを告げる。

 唯男はSNSを開き、巡回する。
 掲示板とは違ったカオス感でギラギラしている。
 喧噪けんそうを流し見て、キャラクターの声々を受け流す。
 唯男は愉悦する。みなが何者かを演じている。何者かになりきっていると、いつしかその何者かになっている気分になるのだ。
 
 そんなひどく混沌としている空間では、癒やしや尊いものが貴重な存在になる。殺伐とした空間で虚像を演じて遊んだ後は、すさんだ心を洗いに向かうのだ。
 普段はおバカな投稿やエッな投稿を遊覧していたが、今日は人肌恋しかった。

 唯男は寂しいという文面に食いつく。アイコンは一部隠れているものの、かわいい感じだった。話し相手募集のタグをつける投稿にコメントする。
 21時になりそうだった。
 一旦風呂に入ろうと思い、席を立つ。
 
 風呂上がりにコーラを一口含み、返信があるか確認する。
 “あんな”から返信があった。
 ぜひ通話してほしいとメッセージがあった。

 唯男は引き出しにしまっていたインカムを取り出し、準備する。
 準備完了。“あんな”に返信する。
 “あんな”も今から準備すると返事があった。

 唯男は“あんな”と示し合わせた通話アプリを起動させる。
 唯男は“あんな”のアカウントをフォローし、通話ボタンを押した。
 呼び出し音が数回繰り返された後、かわいらしい声が聞こえた。

「はい。たださんですか?」

 第一声がうまく出ない。喉の締まる感覚のせいで焦る。

「あ……は、はい」

 “あんな”は小さく笑うと、「“あんな”です。よろしくお願いします」と自己紹介する。
 掲示板ではモテると豪語していた唯男だが、リアルでは女っ気などなかった。
 唯男は緊張してしまい、言葉少なめだった。

 最初こそ緊張して硬かったが、“あんな”の明るさと親しみやすさに、唯男の口調は自然なものになっていった。
 すると、唯男は饒舌になっていく。

 一流企業ロネに勤める会社員。
 親は資産家。会社を3つ経営している。
 芸能人や有名人と友達。
 海外の有名な社長にパーティへ招待された。

 “あんな”の気を引きたい一心で、日増しに嘘は増えていった。
 彼女と話すのが日課になるうち、“あんな”のことも教えてもらった。
 “あんな”は19才の大学生だそうだ。
 将来は海外の観光ガイド。
 両親とは疎遠。
 両親から将来の夢を反対されていた。
 大学に行きたいと話したところ、援助はできないと言われ、大学の費用はバイト代で捻出している。近々、授業料の支払いが迫っており、今月ヤバいらしい。

 この時、唯男は“あんな”のために何かしたいと思うくらい、惚れていた。だが、唯男の薄給じゃどう頑張っても足りない金額だった。
 唯男は、「そっか。大変だね」としか言えないのが歯がゆくて、悔しかった。

 まとまったお金が欲しい。
 唯男に大きなお金を手に入れられる甲斐性があるわけもない。

 あてを探そうにも頼れる人は限られていた。
 いつもの掲示板の住人が真剣に協力してくれるとは思えない。
 会社にプライベートの相談ができる人もいない。
 スマホで連絡先を確認してみる。
 スマホが受信するのはいつもキャリアとソシャゲのお知らせメールだった。
 個人からのメールなんてここ数年届いた試しがない。高校時代の友達の連絡先がまだ使えるアドレスだった。

 連絡が届いたのはその数時間後、窓際社内ニート職を終えて、牛丼屋でつゆだく牛丼を食っている時だった。
 友達は驚いた様子だったが、事情を説明すると、「治験なんかどうだ?」と返信してきた。
 調べてみたら、ちょっと物騒な感じがした。要は新しく開発した薬を試す役になってくれ、というものらしい。楽に稼ぐなら多少リスクを負うしかない。唯男は応募した。

 まだ寒さが沁みる午後の昼下がり。家族連れとすれ違いながら商店街を横切って、スマホと周囲を交互に見ながら地味な通りを進んでいく。
 建物がところ狭しと並ぶ通りに馴染んだビルへ入る。
 てっきり診療所なのだろうと思っていた。来てみれば、なんの変哲もないビルだった。キャリーケースを持ち上げて、階段を上がる。
 部屋の前のインターホンを押すと、事務員のような人が現れ、部屋に招かれた。
 パーテーションで区切られたソファに案内され、問診票を書く。その後、どこかに行っていた事務員が戻ってきたので、記入済みの問診票を渡す。事務員にひとつふたつ質問され、別室へ移動した。

 別室には白髪交じりのおじさんがいた。
 カーディガンを着たおじさんは薬の効能と副作用を説明する。いろいろ説明を受けたが、半分以上わからなかった。多少危険がつきまとうことは知っていたので、同意書にサインをした。
 薬を投与された唯男は宿泊予定の部屋に案内された。
 テレビ、キッチンがあるだけの簡素な部屋だった。洗濯と風呂はコインランドリーとスーパー銭湯が近所にあるそうだ。
 
 これから3週間、このビルの貸しオフィスの一室に住む。ホテルと呼ぶには簡素すぎる部屋だが、ネットは繋がれているから住むのに問題はないだろう。
 仕事には行ってもいいそうだ。たとえ倒れても、会社は困らないはずだ。年がら年中社内ニートの唯男が任された仕事など、ないに等しかった。

 今日も彼女とチャットする。
 お金は自分がなんとかすると告げた。
 彼女は遠慮していたが、唯男は気にせず受け取ってほしいとお願いした。
 
 それからも“あんな”と連絡を取り合った。
 仲良くなれている手ごたえはあった。唯男は思いきって“あんな”に告白した。彼女は、仕事が忙しくて難しいと言うので、変なこと言ってごめん、と場をごまかした。

 
 3週間後、治験バイトの最終検査を終えた。
 しばらくしてから、事後報酬が振り込まれるそうだ。
 最近の唯男が虚像を売ってかたる相手は、掲示板の連中よりも“あんな”だった。彼女の中で大きな存在になりたかった。頼ってもらえるこの高揚感は、代えがたいものだった。

 一方で問題も出てきた。

 彼女は芸能人と映っている写真を見たいとか、実家を見たいとか言い出した。唯男はただのサラリーマンだ。芸能人と知り合いなわけがない。実家も古いマンションだ。
 困った唯男はネットに載っている芸能人の写真で間に合わせた。
 問題は家の写真だった。

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未熟な身ではありますが、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。