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国葬(セルゲイ・ロズニツァ監督の映画)
「第七藝術劇場」というアートシアター(大阪のミニシアター)に行ってきました。
ロズニツァ監督はベラルーシ生まれ、ウクライナ育ちの人ですが、母国語はロシア語でロシアで教育も受けています。
監督の「ドンバス」という映画にすっかり心奪われた私は、監督が2019年に発表した「国葬」というこの映画が見たかったのです!!!
仕事が飛んだため(笑)、急遽見に行ってきました。
「国葬」は1953年に死去した、ソ連の指導者スターリンの国葬を描いた映画です。
まさか日本でもイギリスでも「国葬」が続くこのタイミングで見られることになるとは・・・。「バビ・ヤール」が10月から公開されるので、それを記念して公開されたようです。
この映画は、本物の記録映像を再編集して構成されています。それがロズニツァ監督のやり方。(「ドンバス」は監督初の劇映画でした。劇映画:役者が台本に沿って演じる)
▼当時の様子
基本あまり物語はなくて、荘厳な音楽が流れ(さすがに音楽は後から映画につけたものだと思うが音源は映像からとっているのかも・・・そのあたりの説明は映画内にはない)、ラジオからは延々とスターリンを称える詩のような文章の朗読が流れる。
ソ連の演説ってなんでみんな文学的なんだろう。
「同志スターリンの心臓は鼓動を止めたのだ!」
あとは、人々が弔問に訪れる映像。
ソ連全土で人々が喪に服す姿がひたすら流れます。
この時代、まだソ連には街頭テレビもなかったようで、情報を得る手段は新聞かラジオ。
あらゆる集会場所にはスターリンの像もしくは肖像画と、スピーカーがあり、人々は「玉音放送」を聞くかのように、じっと立って、だまって、涙を流しながら、放送を聞いている。
末端の小さな村や工場に至るまで余すところなくラジオが葬儀の様子を伝えていたのだろう。
各地にあるスターリン像のもとには長い列ができ、巨大な花輪がこれでもかと運ばれる。花輪にはバラ。そしてロシアの気候では育ちにくそうな、温かい場所で咲くような植物も飾られていたと思う。
みんな、泣いてた。
ロシア中の花が、バラが、この日スターリンの周りにあったのだろう。
国民のほとんどは「同志スターリン」が何をしたか、たぶん知らされていなかっただろう。情報は統制されていただろうから。
工場で、「スターリンのおかげでソ連はいい国になったんだ! 戦争が終わったんだ!(※大祖国戦争:第二次世界大戦でナチス侵攻に勝った) だから我々も共産革命を止めちゃいけないんだ」的な演説があり、女性の労働者たちが泣きながらそれを聞いているシーンもある。
ソ連は、弔辞ほど、暮らしやすい国になったのだろうか? だれも国葬に反対しなかったんだろうか。表立って反対できるような感じじゃなかったのか・・・反対する映像は残っていないのか・・・。
▼人間が映っている
スターリンの遺体は防腐処理がされ(独裁国家の独裁者は永遠保存されがち、遺体も公開されがち)弔問に押し寄せる市民の長蛇の列。安置されているのは立派な「会館」みたいなところなのだが、それでも床が抜けるんじゃないかと心配になるほどひっきりなしに人が来る。
スターリンの遺体を見に来る人々の映像が延々と流れる。
もちろんだれも十字を切ったり拝んだりはしない。共産主義国家だから。
一つ思ったのは、「遺体を見に来る人びとの表情」って何とも言えない顔をしているなあということだ。
エリザベス2世の女王の棺がパレードしているときもそうだっただけど、人々は、なんとかして棺を、遺体を、見ようとする。この目つきは、有名人が来たから一目見たい、という物見高い視線と何が違うのだろう。
そして一目見ると泣き崩れるのだ。
泣かない人は、何とも言えない表情をしている。硬い表情だ。
私も経験がある。亡くなった方のお通夜に行き、お棺の中のお顔を見る。
どうして顔を見るのだろう。亡くなったことは明らかだ。
ぜったいに、生きていた時の笑顔を覚えている方がいいに決まっているのに。
私たちは「遺体」の顔を確認せずにはいられない。亡くなったことをこの目で確認しないと気が済まない。そして死はその顔を見れば明らかだ。
またスターリンの棺を運ぶ男たちが毎回すっごいぎこちなくて、そこはちゃんと手筈を決めておけよ! 落ちるぞ! とハラハラした・・・。
”人間”が映っているんだなと思った。
もちろん再構成されているので、そこに編集の意図があるわけだが、なぜか1つの作品として見られる、ふしぎな映画だった。
雪が舞う極寒の吹きっさらしの中、「追悼集会」という葬儀が開かれる。当然全員立ちっぱなし。宗教性を一切排した「イベント」だ。
3人の男が高い場所からスピーチをする。
最初にスピーチをした男が次の指導者だということが発表される。
そして終わり。
レーニンの遺体が安置されている同じ廟に、スターリンの棺も運ばれる。
後に、フルシチョフが「自己批判」ならぬ「スターリンの個人崇拝を批判」したことで、スターリンの遺体は廟から出されることになる。
たぶん、プーチンは自分の時もこれをして欲しいのだろう。
「最後の総仕上げ」。そして永久に記憶され、記録される。偉大なる指導者として。人々はみな彼を永遠の不在を悲しんで泣く。
そしてきっとロシアはそれをするだろう。
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