伝えると伝わるの違い
コロナワクチン1回目を打った際に起こった些細な出来事。
妻の親戚関係の職域接種を受けることができ、我が地域の予約受付よりも一足早く受けられるということで接種を希望した。
接種を受けるにあたっての注意事項などは親戚の会社のメールが転送されてきていたが、特段持ち物などの記載はなかった(と、思っていた)。
前日に、改めて持ち物を妻に聞いてもらったところ、免許証などの身分証明書を持ってくるようにとのことだったので、そんなもんか、と接種会場(親戚の勤める会社)へ。
接種会場の受付前ロビーに着き、妻の親戚と合流して一緒に受付へ。
受付のエレベーターの中で、自治体から郵送されたワクチンクーポンは持ってきたかという確認。
ぼく「…え、それ持ってくるんですか?(そんなんメールに書いてなかったし、昨日聞いたら言ってなかったジャン…)」
親戚「…まあ、なんとかなるだろ(マジかよ、こいつほんとに免許証しか持ってきてないのかよ…)」※カッコ内は推測
…会場までのエレベーターの中の微妙な空気を気にしないようにして、受付で免許証以外忘れたことを申し出ると、書類を記入すれば受けられるとのこと。
ホッとしたのも束の間、受付が完了するまではその会社の社員である親戚は立ち会わなければならないため、ぼくも大急ぎで書類を書いて提出。
と、いうのも親戚はそのあと打合せがあると言っており、エレベーターの中でもチラチラ時計を見ながら、なんとか間に合いそう…みたいな話をしてたもんだから、こちらとしてはなるべく早く受付を済ませなければ、、、と焦って記入したもんだから受付のおばちゃんはぼくの汚い字を解読するのに時間がかかっていた。
まあ、そんなこんなで無事ワクチン1回目の接種を無事終えられたわけだが、その帰り道、これは単純にぼくがメールをよく見てなかったからというだけなのかと思い、そもそもなぜこんなことになってしまったのかをいろいろと振り返ってみた。
原因を究明する
まず、なぜこうなってしまったのかを考えてみる。
振り返ってみると、そもそもこの日はぼくの夏休み最終日。
前日まで近場で一泊の家族旅行(自粛期間中ということでほぼ旅館から出ず)だったこともあり、あまり翌日のワクチン接種に意識が向いていなかったということはあったと思う。
まず伝えられる側のぼくの方は、事前にもらったメールの読み込みが足りなかったのは紛れもない事実である。
添付資料がついていなかったり、パスワードが違って開かなかったりというやりとりが何度かあり、なんとかファイルを開くことが出来たが、仲介していた妻は開くことが出来なかったため、ファイルの中身は確認していない。
そもそも、自分が受けるわけでもないので妻がそんなに親身に考えてくれるはずもなく、言ってしまえば適当な対応。
ぼくはというとファイル開封の試行錯誤の中で、メールではなくLINEでZipファイルが共有されたというのも、これまた見落としの大きな要因となった。
そして、ぼくが開いたファイルは接種前の注意事項のみだった。(実際はぼくが開いたファイル以外にも予診表とワクチン接種記録表が存在していたが、スマホで開いたが為にその存在に気づかず…。)
ぼくが見落とした書類は当日記入することで問題はなかったものだったが、ぼくはもうひとつ重要な忘れものをしていた。
それはズバリ“自治体から届いたワクチンクーポン”。
妻の親戚と会い、持って来てないのかと問われたときは、確かに「やっちまった感」を出してしまったが、よく考えるとそんなことメールにも見落とした書類含めた添付資料にも書いていない。
いや、書いていないことであれば、前日の確認で教えてもらった免許証などの身分証も特に持ってこいとは書いていない。
「そんなん常識だろ」と言われればそれまでだし、ワクチンクーポンの同封の書類にはどうやら職域接種の場合でも持っていけと書いてあったそうだが、そういうことであれば【持ちもの】として、書いていてくれてもいいんじゃないか、とも思う。
なんせ、こちとらはじめてのワクチン接種なのである。(偉そうに言うことじゃないけど…)
クーポンの存在も事前に言われないのであれば職域接種には関係ないのかな、ぐらいに思っちゃっても仕方がないじゃないか。(実際はそこまで考えてもいなかったというのが正しいけど…)
そう考えると、妻の親戚の方も随分と雑な情報伝達をしてきたものである。
そして、妻の親戚の会社もまた随分と雑。
なんせ、転送されてきたメール本文にも当日の持ちものらしき記載は全くない。
昨今のセキュリティの厳しさを鑑みたとしても、持ちものくらいメール本文に書いてもいいようなもの。
妻の親戚は会社内で自然と情報交換されていて、免許証やワクチンクーポンを持ってくることががあたりまえになってしまっていたのかもしれない。
この前提情報の違いはかなり大きい。
情報量の違いというのは、これほど大きな格差を生むものなのだということを改めて感じる。
兎にも角にも、こんな状況でなんとか1回目のワクチン接種を終えることができた。
2回目のワクチン接種でリベンジ
そして、2回目のワクチン接種当日。
結論から言うと、またもや失敗というかいくつかのイレギュラーが発生してしまった…。
さすがのぼくでも前回のような失敗はできないと前日にしっかりと事前情報を整理し、準備をした。
自分の家族など近い存在であれば、前回の文句なども言えるので親戚の方の情報提供にも改善を求められるが、妻の親戚ともなればぼくからしたらなんとも微妙な距離関係な間柄。
しかも、先行して職域接種を受けさせてもらっているわけなのだから、お礼は言っても間違っても文句など言えるはずもなく、自分自身で準備をするしかないと感じていた。
2回目の接種日は、妻の親戚は会社にいないとのことで会場入場用のQRコードのメールをぼく自身に送ってもらうことに成功した。
そんなことできるなら1回目もそうしてくれたら良かったのに…という言葉はもちろん飲み込む(妻にはブーブー言ったけど…)。
QRコードのメールには9:00〜と記載があった(前回は10:00〜11:30)ものの、妻の親戚に聞いてもらうと9:00以降の午前中であればいつでもOKとのこと。
前回との変更点はそれぐらい(というか2回目接種に関するメール等の新しい情報はQRコード以外に一切なし)だったので、1回目接種時にもらったメールの添付資料を熟読し、忘れ物等はないように細心の注意を払った。
というのも、1回目接種を終えてしばらくしてから、妻の親戚から妻に対して、ぼくがワクチンクーポンを持ってこなかったことに対して”総務から注意が入ったので2回目は忘れないように”というお小言をいただいていたから余計に気をつけた。
満を持して迎えた、2回目接種。会場に到着し、早速会場に入るための入り口にいた担当者に職域接種に来た旨を伝え、QRコードを提示。
ここでさっそく困惑する担当者。
おかしい、思ってたんと違う…。資料は見てきたのに…。
自分自身の名前と親戚の名前を聞かれ、少々お待ち下さいとのこと。
入場時点でいきなり想定外の状況に、メールを見返すも間違いが見当たらない…。
何やら、本部と確認を取った担当者が戻ってきて、ひとまず場内に入れてもらうことに成功。結局QRコードの出番は来なかった。
場内に入ってからも、エレベータールームから受付までの間には社員のICカードがないと自動ドアが開かなかったり、受付でも予診票を再び書かなければならなかったり、結局社員である妻の親戚の同伴が実は必要だったり…と随分会場の人に迷惑をかけながらなんとか2回目の接種を受けることができた。
結局、事前に準備したことは何も活かされず、2回とも散々な職域接種となってしまった。
情報格差が何よりの障害
このnoteでぼくが言いたかったのは、別に妻の親戚への文句を誰かに知ってもらいたかった訳ではない(正直にいうとちょっとはその節もある…)。
今回のことで、より伝える側と伝えられる側、双方の情報の格差によってこんなにも認識のズレが生じるということを感じ、これは単なる親戚内のいざこざで済ませてはいけないと思ったからである。(むしろ何がなんでも有意義な方向に変えたい…!)
ぼく自身、仕事では伝えることが多いので、今回のような伝えられる側の立場となったときに、どう感じるのかというのを体感できたことはある意味よい経験にもなった。(そう、思いたい!)
そして、伝える側がちゃんと伝える気があるのかどうかというのも、受ける側にははっきりわかってしまうんだな、ということも痛感した。(ここにきて、まだ文句言ってる)
伝える側がしっかりと伝えようとしているか、相手に必要な情報を提示できているか、抜け漏れはないか、相手の立場を理解しているか。
伝えられる側もしっかり受け取ろうとしているか、事前にほしい情報を要求できているか、相手の立場を理解しているか。
お互いに相手の立場になってどこまで考えられるか、思いを馳せることができるかということが重要で、これができて初めて”伝わる”ものなのだと感じる。
今回のように、妻の親戚とぼくの意思疎通が全くと言っていいほどできていないような、コミュニケーションが取れていない職場というのは往々にしてこういうことが起こっているということだろう。
立場による認識のズレが生じて、最終的に喧嘩に近い状態にまでなってしまう。
単なる”コミュニケーション不足”では片付けられないコミュニケーション不足はこうやって生まれてくるのだ。
伝える立場の場面が多いぼくとしては、これまで情報過多になって埋もれないようにするにはどうすべきかを考え、いかに必要な情報をシンプルに伝えられるか、できる限り情報は必要なものだけに絞り込むことを意識してきた。
だが、もしかしたら必要な情報以外にも、こちらの考えや想いなど背景の部分を丁寧に伝えたほうが、結果的には埋もれない情報として届くのかもしれない。
こどもの頃の耳タコワード”自分がその立場になったらどんな気持ちか考えなさい”というのは、本当は大人こそ考えておかなければならないことなんじゃないかとかそんなことを考えつつ、今日も娘たちの喧嘩を”自分がされたら嫌なことをするな”という説教をしているぼくがいる。
よくもまあ、自分が出来なかったことを子供たちに言ってるものだと思いながらも、今回のような経験は前向きに活かしていきたいと思っているのは本心である。
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