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ぼやかして伝えても伝わらないのに。
伝えたいことがあっても、あいまいにぼやかしてふんわり伝えようとしてしまう。
それだと何が伝えたいのかよくわからなくなるのに。
ふんわりなめらかにすべるように、読んだそばから忘れられるような内容になるのに。
そもそもつまらなくて読む気にもならないかもしれないのに。
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あいまいにしてふんわりすることで、攻撃しない、敵じゃない、と示したいのだと思う。
あくまでも私が思っていることです、これだけが正しいというわけでない、あなたが違う意見でも否定したいわけではない、と。
たとえば、言い切って断定したりしないで、「思う」「感じる」「気がする」「かもしれない」「ではないか」などにしてしまう。
書くときはとくにそうなる。話すときは相手や場によって違って、いつもあいまいなわけではない。
書く場合は、誰が読むかわからないから、どんな背景でどんな意見の人かわからないから、どんな人でもいやな感じは受けないようにとしてしまう。
ほかには、相手の意見に対して何か言うとき、「言ってることはわかりますけど」「それも正しいとは思うけど」「それはそれでいいけど」って前置きして、自分の意見を言う。
特に違う意見を言うとき。
「○○さんの立場ならそうですよね」と、立場が違うから意見が異なるだけで、対立してるのではないとわかるように。
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そういうやり方は、話していて場が荒れないようにするには効果があるけど、自分の意見を伝えるのには向いていない。
攻撃していないから聞いてもらいやすくはなるけど、強い意見として受け取られない。
いらっとして読むのやめることはないと思うけど、特にひっかかりもなく印象もないままになる。
あいまいにするから、伝わらなすぎて誤解されることもあると思う。
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そうわかってるのにあいまいにしてしまうのは、はっきり言って届かないのが怖いのかもしれない。
はっきり言わないと全然届きもしないのに。
それも変えたいなと思うところのひとつ。
という書き方がすでにあいまいで、変える!と決めてやるのみ。