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一歩進んでニ歩下がるのも価値になる

ぼくはたぶん、というか確実に要領の良い方の人間ではない。
勉強にしても、仕事にしてもどちらかというと要領はかなり悪い方だ。

勉強の方は早々にリタイアしてしまったが、仕事の方は生きていく上ではそうもいかず、要領が悪いからこそ一歩一歩前進できている。(と思っている、いやそう思いたい)

要領が悪いなりにも前進、などと聞くと随分努力家のように聞こえるが、実際のところ努力とかせずになるべくラクをしていきたい派。
自分が努力家なんて口が裂けても言えないし周りの人はそんなこと全く思ってもいないはず。

そして特段コミュニケーション力に秀でているわけでもない。
なんなら社会人になるまでは家族、友達以外の人とはなるべく関わりたくないとすら思っていた。

今でこそ、取引先やお客さん、職場の仲間など仕事におけるコミュニケーションは積極的に取れるようになってきたが、それでもプライベートではめんどくさがり屋で新たな関係性構築などできる限り避けたい…と本心では思っているぐらいだ。

そんなぼくだが、要領が悪いからこそ、普通の人では経験しないようなミスやトラブルを生み出し、場数を踏めているという節さえある。

いろいろと遠回りをしてきたようで、経験という他の何にも代えがたいものを手にすることができたからこそ、結果的に今、”そこそこ”基盤のしっかりした企業の”そこそこ”の立場で“そこそこ”の給料を貰えるまでに至っているのかもしれない。

新卒入社した会社での経験

結論から言えば、今のぼくがあるのはこの経験があったからであることは間違いなく、今思えば非常にいい経験をしたと思うが、もう一度やれと言われれば全力で断るくらい、思い出してみるとなかなか辛い経験だったように感じる。

・・・・
入社して1ヶ月の研修を終えての配属。
わずか16人の同期が次々に配属を言い渡される中、ぼくの配属は本社。
本社に配属となったのはぼくを含めて4名。

他のみんなはそれぞれ支社や子会社出向などバラバラななかぼくらだけが、研修の延長線のような形となった。

人事の役員曰く、ぼくら4名はどうにも適性を判断しかねたのでしばらく様子見の意味での本社配属となったようだ。

4名のうち、2名は女子。
当時、女性社員の総合職採用が始まったばかりの時期だったらしく、採ったはいいがどう活用すればいいのかわからず、本社勤務で様子見をしていたようだった。

ぼくの本社での仕事といえば、各支店の実績の取りまとめを行い、経営会議の資料を作ること。
そもそも入社したばかりで、”売上”とは”利益”とはなにかもよくわかっていない人間が、ただ取りまとめるだけとはいえ、各支店から報告された売上資料を集約して会議の資料を作成するというのだから、新入社員にとってはなかなかプレッシャーの強い仕事だったように感じる。

当時のPCはどでかいブラウン管のデスクトップPC。
ぼくのデスクの1/3を支配するそのPCを、大学でほぼ何もしてこなかった僕が使いこなせるわけもなく、ただのExcelの足し算を何度も間違えては怒られを繰り返した。

当然会議にかける際には10歳以上年上の先輩や部長のチェック⇄手直しのラリーを何度も行い、ようやく会議にかけだと思えば、経営陣に資料の不備を指摘されてまた怒られる。
当時はそもそもお前らがチェックできてないんじゃないかという気持ちばかりで自分のミスを棚上げしていたものだから反省もせず、翌月も同じ作業を繰り返しては間違える。

作業の意味がわかっていないから、とにかく間違えるし、終いには計算が合わないことに嫌気がさして締め切り直前に終わらない作業の中、残業せずに帰っていいかと先輩に尋ねてはまた怒られる…。

おそらく、なんのためにどんな作業をしているのか、というのは一番はじめに説明をされていたのだろうが、そんなことは全く覚えている訳もなく、わけも分からず支店から上がってくる数字を集約するということに徹していた。
それ以上のことを理解しようともしていなかった。

今、冷静に考えればそう思うのだが、当時のぼくはそんなこと思いもせず、むしろ先輩がちゃんと教えてくれないせい(少しはその部分もあると思うが)にしていて、ただただ会社に行くのが嫌になっていた。

営業の経験でようやく社会人になる

そこから数ヶ月で本社配属の4名は全員、営業部署へ異動となった。

入社時研修のときから恐れていた”営業”の仕事。
とにかく売上、利益のノルマが課せられ、予算に達しない営業は事務所に帰ってこなくていいから1円でも多く売ってこい、という世界。

実際、ぼくらよりも一足はやく配属になった同期は、随分と鍛えられていた(疲弊していた)ようだった。

そんな噂の営業という仕事に戦々恐々としながら、先輩に張り付いて少しずつ仕事を覚えていっている中、配属後すぐにその先輩が海外研修で1週間不在となることに。

しかも、営業としては売上や利益の詰めを行う月末の1週間を不在にすることとなり、いきなりすべてを任されることとなる。

さらに、この先輩がまあとにかくちゃんと仕事を教えない。当時はそれが当たり前だったのかもしれないが、それでも特に酷かった。

ぼそっと一言重要なことを言って帰っちゃうとかは日常茶飯事で、取引先や倉庫の人には最初の1年で5年分ぐらい怒られたと言っても言い過ぎではないくらいだ。

そんな中の1週間の不在だったので、当然ながらうまくできるわけもなく利益の誤計上という結構大きめなミスをやらかしてしまう。

当時、その先輩の適当さは誰もが理解をしてくれてはいたものの、何故かあまりこのミスを庇ってくれる人もおらず、正直ちょっとここでも心が折れかけていた。

とにかく、この時期は教えてもらえないことや教えてもらっていても理解が足りずにミスになってしまい、そのフォローに日夜駆け回るという日々が続いていた。

正直、毎日泣きたい気持ちで営業車で自分のミスのフォローにかけ回っていた。

そんなトラブルにまみれて半年ほど経過した頃には、人間の自己防衛本能なのか、ミスやトラブルの発生した原因究明やどうすれば防止できたのか、漏れなく、ダブりなくできるのかを自分自身で考えるようになった。

そうしないと、しんどい状況からいつまでも脱却できないわけだから自分としても必死だったのだと思う。

社会人として、自分の仕事に責任を持つこと、自分の頭で原因究明と対策を考えること、は教えられるだけではなかなか本質までは理解できない。

もう二度と経験したくないが、ある意味トラブルまみれの半年間の経験によって、すごいスピードで仕事の本質というのを理解することができ、学生から社会人にしてくれたものだと感じている。

かなり辛い経験ばかりを書いてきたが、もちろん辛いことしかなかったわけではないし、直属の先輩以外の先輩や上司は基本的には優しく、よく飲みにも連れて行ってもらった。

それでも、この辛い状況を続けられたのは、僕自身”営業”という仕事にやりがいのようなものを感じていたからなのだろう。

特定の取引先に対する法人営業の担当として、取引先のバイヤーさんへの提案活動。

バイヤーの意図を理解して、それに合わせて商品を提案していく。
提案した商品が採用されよく売れたときは素直に嬉しかったし、取引先のMD方針や中長期の戦略などに触れる度にマーケティングのおもしろさにハマっていったように思う。

転職してみて貴重な経験に気づく

現在の会社への転職は、事業を展開するマーケットに面白みを感じたからではあるが、これまでの経験というのが非常に活きているというのは常々感じている。

転職してから何度か部署異動もしてバックオフィス部門から商品企画開発、現在のバイヤーに至るまで様々な業務を担当してきたが、それぞれの部署でトラブル等も発生はしたが、社会人一年目のときのように真っ暗闇を進むようなものではなく、視界は開けていたから無駄なく対応や解決策を考えることができるので、心に余裕がある。

そして、最終的にはどうにかできる根拠のない自信がなぜかある。

この自信というのはおもしろいもので、自信をもっていると大抵は良い方に転ぶ。
この根拠のない自信は、実は少し根拠があって過去の失敗たちの経験から感覚的にどれくらいヤバいか、がなんとなる感じることができるし、どうなっても命を取られるわけでもないという究極の開き直りが自信に変わっているのかもしれない。

そんな経験をしているからなのか、ぼくは新入社員や後輩ができない前提で仕事をしている。
ぼく以上にダメな新入社員にもいまのところ出会ったことがないから、大抵はみんなすぐに仕事を覚えてくれるし、ちゃんと成果を出してくれるのでできない前提でいるとめちゃくちゃ仕事が楽になる。
できない前提なので、できなくて当然。イラつくこともないし、怒ることもない。

そんな後輩たちに伝えたいのは、敢えて失敗をする必要もないし、わざわざ険しい道を進む必要はない、ということ。
一昔前までは”苦労は買ってでもしろ”と言われていたが、結局はそういう例もある、程度のこと。

ぼくのように要領の悪い人間であれば、自分自身で経験することが一番の学びとなることもあるが、自分自身で経験せずとも失敗をしない秀才タイプの人間もいる。

逆に、いくら失敗しても学ばない人間もいる。

結局はその人の性質によって、効果的に学びに繋がる方法というのはそれぞれ異なるのだから、苦労はなるべく避けてとにかく得意を見つけたらその部分を研ぎ澄ますことだ。

今現在、得意を見つけられていなかったり、周り道をしているように感じている人は、すんなり効率的にできる秀才タイプの人には絶対にできない経験をしているわけだし、必ずその経験が活きる場面が出てくると思うので、要領の悪い自分を卑下することなく、踏ん張って自分自身の得意を見つけていってほしい。

どんな遠回りも、どんな二度手間も、それを経験したことのない人では気がつけないものはたくさんあるはず。

その経験は何よりもあなた固有の価値なのだから、落ち込む暇があるのならば、最大限活用できるよう試行錯誤を繰り返していればいつか必ずその経験が活きる日が来るだろう。

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